好きなことを仕事にする怖さ
2週間後、私は社会人になって、働いている。
小学校の特別支援学級で、「先生」と呼ばれている。(はず。提出書類の不備がなければ。)
憧れていた職業。私のやりたいことそのものです。
一昨年から実際に小学校の特支学級で支援員をして、子どもたちや教員を取り巻く厳しい現状を見てきて。
失望ではなくむしろ、「早く自分も現場に入って、少しでもなんとかしたい」と思うようになりました。
5年間もの長い「人生の夏休み」が終わり、自由な時間が大幅に減ることを残念に感じる気持ちも大きいけれど、それよりも、やっと自分の好きなことを「職業」として名乗れるようになることを楽しみに思っていました。
けれど最近、「自分の好きなことを仕事にする」、その選択が正しかったのかと恐ろしく思うことがあります。
「自分の書いたものにお金を払ってもらう」ということ
きっかけは、二度目となる同人誌小説の自費出版。
同人誌というのは、ざっくり言えば、「原作があるアニメなどのキャラについて、ファンが自分たちの楽しみのために、勝手に作ってるマンガや小説」のことです。
例えば、「アルプスの少女ハイジ」というアニメが好きな人が、「ハイジからペーターに告白する小説を書こう!」とか「もしもハイジたちが現代日本に住んでいたら?を考えてみました!」とか、そういうかんじ。
私の場合、元々Web上にアップしていたものをまとめ、そこに何本か書き下ろしのお話を足したものを、本という形にしました。2冊目となる今回は、50冊を超える注文をいただいて、びっくりやらハッピーやら。
もちろん、同人誌というからには、「公式さん」(原作者だったり、運営だったり、ご本人たちだったり)には黙ってやっていることですし(私の場合、元ネタとなる方々は本のことをご存知で本自体をもらってくださった方もいるんですが、それは「公式が認めた」とは別の話なのです)、いろんな大人の事情で、利益を出すわけにはいきません。
だから本は、無料。
ただし任意で、印刷費と送料の分だけ、金銭的な支援をいただいています。
そうして、ひとつひとつ本を全国に発送して、自分の手元に残った分は毎晩読んでムフフフっとしています。
「自分のお話を本として読む」という夢も叶っているし、私の頭の中の物語を「おもしろいです」「もっと読みたいです」と言ってくださる方にたくさん出会えたし、ほんっとうに楽しかったんですけど。
同時に、「自分の作ったものを、お金を出して買ってもらう」ということに伴う責任やプレッシャーを現実のものとして感じて、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ苦しく感じることもありました。
文章を人に見せることは、けして初めてではありません。
このブログを書く前にも、留学中の滞在記を毎日のように更新していました。マイナー中のマイナーな地域でネット上の情報は皆無だった、マンガもつけていたこともあったのか、そこそこの読者さんもいました。
でもそれも、基本的には自分のための備忘録。日記としての側面が強かったです。このブログはもっとそっち寄り。
だから、「みんなのために書く」という感覚が少ない。
もちろん、読みやすい文章にはするし、不特定多数の目に触れるということで情報の出し方には気を付けますけど、主としては、自分の書きたいときに、書きたいものを書くというスタイルです。
同人誌小説の書籍化にあたり、それが少しだけ、「買ってくれる人のため」になりました。
利益目的ではない趣味の範疇なんですけどね。それでもやっぱり、「お金を払ってでも、この人の文章が読みたい」と思ってくださった人々の気持ちには応えたいじゃないですか。ああ買ってよかった、次があったらまた注文したいな、って思ってもらいたいじゃないですか。
そうなると、それまでは大して気に留めていなかった、話ごとのページ閲覧数とか、「この話のここが好きでした」のコメントとかが、大きな意味をもつようになります。
それまでは、シンプルに自分の頭に浮かんだ風景や好みの展開を文字に起こしていたところに、「こういうふうに進んだ方が、みんな喜ぶだろうな」という思考が入ってきます。プラス、入稿締め切りがあったり、赤字を膨らませないためのページ数制限があったり。
好きなことを、好きなときに、好きなように進めるわけにはいかなくなってくる。
趣味の自費出版でさえこんなかんじなのに、実際に自分の生活の糧になる「職業」にしてしまったら、もっとシガラミは多くなるわけですよね。
今までも、有償の依頼で教材を作ったり、絵を描いたりしたことはあったけれど。
今回初めて、その恐ろしさが間近に迫ってきました。
「やりたいこと」が「やらなくちゃいけないこと」に変化したとき、私は、それが好きだった気持ちさえ忘れてしまうんじゃないか?
義務になったらやる気が失せる、ってそりゃ当たり前ですよね。
アンダーマイニング効果ってやつですね。内発的動機付けでやっていたことに報酬が伴った途端、外発的動機づけになって、元々あったはずの意欲を失うっていう。子どものゲーム依存の治療にも、この方法が使われるんだそうです。
今回はぎりぎり、「もう書くの疲れた、やりたくないな」って思う手前のところで、入稿が終わったんですけど……でも、次はもう、締め切りを設定しては書かないかな。
同じことは、執筆以外にも言えます。
子どもの手をとって、一緒にブロックを数えて、算数を教えることとか。
ひとりひとりの苦手に合わせて、せっせと授業の計画案を作ることとか。
好きなことが、嫌にならないかな。
今は、それが怖いです。
大丈夫なのかなあ私。