かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

3月23日 みんなじゃないけど、私だけでもないみたい

マンガやブログを読んでいると、今まで「みんなもそう」とか「こんなの普通」と思っていた様々な困りごとが、特性に由来するものだったのだと改めて驚きます。

もしくは、自分のここ周りの友達と少し違うとわかっていても、「でも、それは私が特別すごいから!」と思っていたこととか。

 

例えば、外を歩いていて、目に入るものそれぞれから考えや記憶がもくもく広がってしまうこと。

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12月6日 つりりつりりと万国旗 - かっぱちゃんの耳

 

思いついたことを衝動的にかたっぱしから取り掛かってしまうけど、結局ぜんぶ中途半端になって何もおわらないこととか。

”土曜日だ。ゴミ出さなきゃ。”

せっせとゴミ箱を集めたところまではいいけれど、その前に着替えなきゃと思い出してたんすをあさりかけ、”あ、干してある洗濯物からそのまま着ればいいじゃん、それなら全部取り込まなきゃ”と洗濯物をわちゃわちゃ、途中で”そういえば部活の連絡しなきゃだっけ”と途中でラインをひらき、”部活といえば、あーこんなことしてる場合じゃない!明日までの書類が!”とパソコンを出しかけて、机脇のゴミ箱が目に入り…

”土曜日だ。ゴミ出さなきゃ。”

やることが何一つ終わっていないことに気づきました。

12月1日 あわあわあわててパニック防止 - かっぱちゃんの耳

 

 

またそういうマンガをネット上で見つけて、そのまま書店に行ってコミック本を買いました。

生きづらいと思ったら親子で発達障害でした 入学準備編

モンズースー著 メディアファクトリー出版
生きづらいと思ったら親子で発達障害でした 入学準備編 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)https://www.amazon.co.jp/dp/4040652908?

 

著者の方のブログも読み漁りました。

凸凹ハウス~親子で発達障害でした~ Powered by ライブドアブログ

 

考えが無意識に動いてしまい集中できず
最後まで用事が終わらせられません(^_^;)
 
テレビみたいな外からの刺激でパッと全く違う
方向に考えが動いてしまう時もありますが
基本は考えが動いていても繋がっていて
連想ゲームというかたとえるなら
 
マジカルバナナのような感じ(笑)
 
(引用元:)

 

だって、私、頭の中が多動なんです。(・ω・)/
たとえば、誰かと話しているとき。

はじめは相手の話を聞いているのですが、

ちょっと気が逸れると、どんどん話の内容から、頭の中で連想ゲームのように考えが巡って行って

最終的には、相手の話を全然聞いていないいう事態…orz

 

(引用元:)

 

そう、そうなんだよー!まさにこれなんだよー!と激しく共感。

これも特性だったのか…とびっくりです。

 

 

実は、知識として、「頭の中でやることがまとまらなくなり、何から手をつけてよいのかわからなくなる」ということ、つまり「頭の中の多動」もADHDの特徴としてあることは知っていました。

でも、自分はそのタイプじゃないと思っていたのです。衝動も多動もあるけれど、頭の中というより行動に出る方かなと。

家事や雑用をこなすのはごちゃごちゃまとまらないけど、整理整頓は得意だし、手帳に作った計画に従って勉強を効率よく進めることもできます。

 

だから、「そういう人もいるけど、自分は違う」と思ってました。

「私は、みんなが誉めてくれるように、想像力がすごいんだ。こうやって、頭にいろいろ浮かんできちゃうけど、きっとこれも才能なんだ!やったー!」

なんて、ちょっとうぬぼれてた子ども時代。下手したらごく最近まで。

本気でこう考えていて、まさか自分が苦しめられている感覚過敏とも関係があるとは思ってもみませんでした。

特性が悪い方にばかり作用するわけではないと知っていても、なかなか自分で長所のひとつと思っていたところと特性をつなげなかったなあ、とあらためて。

 

 

ちなみに、国立精神神経医療研究センターでの講演会(2月16日 公開講座「発達障害の診断と治療の進歩」で聞いてきたこと①:音の過敏に効く薬)で、

「ADHDの方の自己評価や自己肯定感の平均は、そうでない人たちの平均より高い。

理由として、発達障害のある人は自己認識が得意でないことが挙げられる」

と聞きました。

 

自分のことを「得意なことがいっぱいの、よくできる子」だと思っていた私としては、とても興味深い話でした。ちょっと胸がちくちくするけど。

 

 

話を戻します。

他のADHDやASD当事者の方々のブログやエッセイを拝見するのは、すごく楽しいです。

違う人生を生きている人の話を読むのはもともと好きだったけど、そこに医学的・教育学的な興味が加わって、自分のことと結びつけて発見や共感も豊富なわけで。

「みんなも同じように我慢してる」と思っていたことが、そうじゃないと知ること。

「私だけこんなふうに…」と困っているのが、自分だけじゃないと気づくこと。

おもしろくないはずがありません。

 

それに、誰かが書いた「自分の話」を読んでいると、不思議と私自身も自分のことにも客観的に見れる時間がくるのです。

たくさんの人の体験談に紛れる、「かっぱちゃん」の話として。

ちょっとだけ距離を取るからこそ、自分の悲しいこと、困っていることに見ないふりせず寄り添える…といいなあ、と思います。