かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

7月19日 どうして、特別支援教育がやりたいの?

本業の英語教育よりも、特別支援教育に興味がもくもく湧いてしまっているここ数年。

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急に飛んできた質問に、中途半端にしか答えられなかったので、自分のために書いて消化しようと思います。

だから今日は、私の話だけど、私の話じゃない珍しい回。

 

どうして、特別支援教育がやりたいの?

 

 1.通常学級にも特別なニーズをもつ子がたくさんいて、せめて知識をつけておくことが大切だと思うから。

 

ありがちだけど、この質問をされたときにいつも答えることです。

 

普通学級に6.3%。一クラスに少なくともひとり。

そこに何か他の子とは違う手助けが必要な子がいます。しかも、インクルーシブ教育の推進や発達障害への理解の深まりなどさまざまな要因から、その人数は増えています。

 

もちろん、初等教育の授業でも、いくらか特別支援関係の内容は扱うのです。でも、全然足りない。圧倒的に、知識量も時間も足りないと感じます。

もっとちゃんと、知識がほしいのです。できれば経験も。

これじゃ、目の前で困っている子がいても気づけない。何もできない。

そう思って、免許を取るかは別として、特別支援の授業を受講しはじめることにしました。

 

今は、特別支援の一種の免許の取得を目指しています。

必要な科目数を7割がた取り終わった今、「じゃあ必要な知識は身に着いたのか?」と聞かれると、まだまだ…としか言えません。

授業で学んだ理論的なことはある程度身についたけれど、やはり技能や経験はさっぱり。もっと実践の場に入らなければ、と必要性を感じています。

秋学期になって時間割に余裕ができたら、放課後デイサービスなどのボランティアで実際に子どもとかかわりあう時間を作りたいです。

また、技能面と比較して理論的なことは身についた、といっても、基礎中の基礎なんだなと感じます。もっと詳しく、ぐっと踏み込んだところまで勉強したいです。

 

話が逸れました。

 

全体を上手くまとめあげられる先生もすごくかっこいいし、そうなりたいなとも思うけど、まずは私は、ひとりひとりとじっくり向き合う先生になりたい。誰か困った思いをしている子がいたら、ちゃんと気づける先生になりたい。

現場に入ったら、授業準備や雑用でとてもそんな余裕ないのかもしれませんけどね。夢として語るぶんにはかまわないでしょう。

 

そしてひとりひとりと向き合うためには、その子を見るための目が必要です。

どんなことが好きなのか、どんなことが苦手なのか、どんなことで先生の手伝いが必要なのか、どんなことが得意なのか…

そういうことを、話を聞いたり、普段の様子を見たりしながら見定める目です。

それは経験で磨き上げられる部分、その場その場の状況で対応する部分も大きいのでしょう。でも、「こんな子もいるかもしれない」という可能性を考えるためには、まず基礎としての知識があってこそだと思います。

だから、学校現場で先生として働くために、特別支援の方面の勉強は欠かせないと思うのです。

 

 

 

もうひとつは、あんまり人に言わない、超個人的な理由。

 

2.自分自身が困っていたときのことを、もっと知りたいから。それを、将来自分が出会う子どもたちのために役立てたいから。

 

私自身、ADHDの特性をもっていると診断されました(ASDは傾向と言われるけど、自分ではそう思わないので保留)。

このブログでも常々回想しているように、当時はそこまで自覚はなかったけれど、子ども時代から、さまざまな場面で困っていました。

大きな音、うるさい場面、まぶしい場所。

体の多動、思考の多動。

給食の時間、掃除の時間。

 

今もそうだし、昔のことを振り返ってもそうだけれど、自分が「これは、困っているってことなんだ」と気づいたのがわりと最近です。対策を考えたり、人に伝えたりできるようになったのも最近。

 

”私だけ、がまんが足りないわけじゃなかったんだ。”

”ツールを使えば、こんなに楽になるもんなんだ。”

”これは、人に「たすけてほしい」って言っていいことなんだ”

少しずつ、霧が晴れていくようでした。

霧がかかっていたということにさえ、今まで気づかなかったけれど。それでただただ息がしづらいだけだったけれど。

それが霧だと気づいたからこそ、知ったからこそ、どうすればいいのかを考えられるようになったのだと思います。

 

だから今、もっと知りたいのです。

ADHDの特性。

自分自身の特性。

それと必要なら、ASDの特性も。

 

そして、当事者としての経験を生かしていきたい。

ちょっとおこがましいようだけれど、特性で困っている子どもたち、そうでない子どもたちにも、私だから伝えられることもあるはずなんです。

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3月12日 先生のタマゴ - かっぱちゃんの耳

あのときのしーちゃんの言葉が、今の私のお守りです。

辛くて、すっぽりその場から消えてしまいたいときも、しーちゃんの言葉を思い出すと、なんとか乗り切れるんです。

 

この乗り切れた経験も、どこかで生かせるはず。

私がいつか、だれかのしーちゃんになれるかもしれない。

 

だから私は、先生になりたいのです。

子どもたちに「こんな生き方もあるよ」を見せるために。

そのために、必要な知識をつけて準備しておかないといけません。

 

 

冗長な文章になってしまいました。

深夜なので、うまくまとまりません。

でも、今日は自分のための整理だから、よしとする。