11月21日 想像力と過敏の薬
気のせいかな、とも思っていたのですが。
どうやら、気のせいじゃないみたい。
過敏や、気持ちを抑える薬(エビリファイやソラナックス)を飲み続けているせいか、このところ、よくもわるくも頭のなかで想像が広がりづらくなりました。
気づいたのは、自分の去年のブログを読みなおしたとき。
毎日通っている通学路でも、飽きないです。
前を見て歩いていると、思い出すことがいっぱいあって忙しいのです。思い出すことの9割は、そのモノを見ていつも思い出すことです。
同じような風景、匂い、音。
毎日、同じように思い出して、同じように「あ。」とやっています。慣れても慣れても、やっぱり頭に浮かんできます。
なにかきっかけがあると、つりりつりり、連続して記憶が出てきます。
写真か、GIF動画、長くても5秒程度のムービーで、過去の風景が見えます。マジックで袖から万国旗を出すみたいに、次から次へひらひらと。
見えるものからもくもく出てくるイメージが四方八方変な方向に止まらなくなったり、想像までいかなくてもひとつひとつの見えるものが頭の中に押し入ってきてぶわわわわっと膨らんでしまうときです。
景色そのものは変わっていなくても、いつもと違う世界を見ているようなかんじ。粒として入ってきちゃうというか、とにかく変に見える。まぶしい。
目をつぶってじっとしても、見え続けてしまってぶわわわわ。
この「ぶわわわわ」の感覚、もう長いこと味わってないなあ、と思いました。
目にするもの全てからいちいち昔の記憶が引っ張りだされたり、想像が膨らんだりすることが、とても少なくなりました。
頭のなかが静かなのは薬で落ち着いているからだと思っていたけれど、直接的に「落ち着く」作用のなかには、働きすぎるイメージの力を抑える効能もあったようです。
楽になったな、と思います。
変化がじんわりゆっくりすぎて、すぐには気づかなかったけれど。
すごく、楽になった。頭がすっきりする。
目に見えるものは、そのまま、目に見えるものでいてくれます。勝手に頭のなかまで入り込んでふくれあがったりしません。
一方で、小説や絵をかくときの想像の力も弱まってしまったんだな、と感じています。
以前に比べてブログから挿絵がぐっと減ったのは、単に忙しくなったり描くことに飽きたりしただけだと思ったけれど。
最近、何を描けばいいのか浮かんでこないときが多くあります。
もちろん、「こういう話をしたいから、こんな絵があったらわかりやすいな」と順序だてて考えれば描けるんですけど。「あ!描きたい!」という気持ちが先行してとりあえず鉛筆を走らせる、ということがほとんどなくなりました。
物語を作ることに関しても同じです。
どうしようもないほど悲しいことがあったり、うれしことがあったりすると、文章にせずにはいられません。それは日記だったり、小説だったりするのですが、とにかく頭のなかにしまっておかずに書きだしたくなります。
悲しければ悲しいほど、後から読みなおして美しい物語ができあがるのです。
そういえば久しく、小説なんて書いていません。考えてみれば以前は、つらい出来事に涙がとまらないくせに、ぱっと「あ、こんな話ができる」と思いついていたのに。
最近は、悲しいときは、ただ悲しいだけ。切ないときは、ただ切ないだけ。胸がちりちり痛いときも、その気持ちを基にした物語が浮かんでこなくなりました。
絵と同じように、書こうと思えば書けるのだろうと思います。単に、「今しかこの描写は書けない!」と衝動にかられてパソコンのキーをたたくことはなくなりました。
少し失礼なことを承知でいいます。
「ふつう」の人の頭のなかは、きっとこんなかんじなんだな、と思いました。
些細な刺激で火がついたようにパニックを起こすこともなく、
風景から想像が止まらなくなって疲れることもなく、
予定の変更に脳内ビデオがシュルシュル巻き戻ることもなく、
イメージや物語が勝手に湧き上がることもない。
とっても、さっぱりしています。
コートやマフラーを着重ねていた真冬に、1日だけ小春日和がやってきて、それまでのモッコモコのゴワゴワうっとうしい服を一気にぬぎすてたような。
すっきり。
気づかないうちに、誰かが私の頭のなかを大掃除してくれていました。
大事にしていたものもいくつか捨てられてしまったけれど、全体として余計なものがどっさりなくなったから、使えるスペースが広くなりました。1LDKぐらい。
文字通り、頭のなかの容量が広くなったような気がします。