かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

3月26日 あ、いま、まちがえた

先週、地元の友達と久しぶりに会いました。

私が発した何気ない一言に、

「んー、かっぱちゃん、今のは聞かなかったことにするね」と、みんなが目を逸らして苦笑いしました。

何事もなかったように、ほんとうに私の発言なんて誰も聞いていなかったかのように、会話が続きました。

 

 

今日、しーちゃんと、その友達と3人でお話ししました。

しーちゃんからの質問に答えたら、もういちど同じことを聞かれたので、もういちどそのまま同じことを言いました。

すると、しーちゃんはくるりと友達の女の子の方を振り返って、

「ほらね、こういう子なの。相手から聞かれたことの意図がわからないっていうか」

と冗談めかして笑いました。

 

 

そういうとき、

――あ、いま、まちがえちゃった。

と、思います。

つうっと喉の奥がつめたくなる。プールの水を飲みすぎたときみたいにおなかが苦しくなる。

 

なんだっけ、なんだっけ、なにを言ったんだっけ? どこがだめだったんだろう?

すぐに自分の言ったことをフォローしようとするのだけど、上手くいった試しがありません。

たったいま口に出したことなのに、思い出せません。思い出そうとすればするほど、強くこすった鉛筆の字のようにぼやけていくのです。

 

 

小さい頃から、そんなことばかり。

高校生になる頃にはだいぶ減ったけれど、その分いちどまちがえると、友達関係にずっと長く尾を引くようになりました。

大学に入ってからは、それほど頻繁にまちがえなくなりました。というよりも、まちがえたときでも「またかっぱちゃん変なこと言ってるー」と笑い飛ばしてくれる友達たちのおかげで、のどがしめつけられるような気持ちになることはほとんどなくなりました。

 

でも、小さい頃のほうが楽だったように思います。

幼心に、「かっぱちゃんは正直者ねー」「まったく、子どもってのは遠慮がないね!」と自分の年齢ゆえに許されている失礼がたくさんあることを知っていました。

そして何より、まちがえたら、どこがいけなかったのか、どうすればよかったのか、だれかが教えてくれました。

「人の顔のことを言っちゃいけないんだよ」とか、「強い口調で、なんで~したの?って聞くと、相手は責められているように感じるよ」とか。

 

今は、だれも教えてくれません。

ただただ、「あ、いま、まちがえた」って、自分で気づくだけです。

気づくだけ良いじゃない、って言われたこともあるけれど、私はなかなかそう思えません。

どうしようもないくらい、場の雰囲気を壊しちゃったな。相手を怒らせちゃったみたいだな。

気づいてしまうから、くるしくなって、夜には悲しくなるのです。

だって、何がいけなかったのかわからないから、「ごめんね」って謝っても上滑りするだけなんです。「もう言わない」って約束しても、何を言わなければいいのかわからないんです。自分が言ったことも思い出せない。なんで。

 

 

ASDの特性をもつ人は、空気を読むのが苦手。鈍感。

そんなこと、知っています。

それならいっそ、何も気づかないぐらいに、鈍感でいたかった。クラス中の友達から避けられてもチューチュー攻撃を続けていた保育園の頃から、成長したくなかった。

中途半端に空気が読めるからこそ、自分のできないことをどくどく感じてつらいです。