かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

偽善者にすら、なれない

さて、今日は重くて長い自分語り。

発達障害は全然関係ない、ただの反省文です。

 

 

誉め言葉で発動する呪い

東京へ引っ越して4年。

この場所で出会った人たちは、みんな私の性格を褒めてくれます。

友達も、教授も、趣味で出会った人も、ボランティア先バイト先の先生も。

 

「かっぱちゃんは本当に優しいね」

「話してすぐに分かったよ、良い人だって」

「君は人の痛みがわかる人だ、素敵な先生になるよ」

 

そう言われれば、もちろん、嬉しい。ありがとうって思う。

でもそれと同時に、胸の奥がぎちぎち狭くなって、息苦しくなります。

 

私はそんな人じゃない。ぜんぜん良い人なんかじゃないのに、真逆なのに。

またこうやって、人を欺いてる。

 

誉め言葉で発動するその呪いは、自分でかけたものでした。

厳密に言えば、自分がしてきたことのせいで、妹にかけられたもの。

 

「お姉ちゃんってほんと、偽善者だよね」

 

たしか小学校6年生のとき。夕食を食べていて、妹にそう言われました。

 

「大人はお姉ちゃんがまっすぐな良い子だって、優しいねって言うけどさ。外で優しいだけじゃん。ほんとはすごく性格悪いくせに。
 ……あたしは、知ってるから」

 

嫌味というよりも素直な口調でした。

妹の言葉は、何も間違っていませんでした。私を傷つけるための言葉を選んだんじゃなく、ほんとうに、素直に言っただけなんだなって。

だから、ぐっさりと胸に刺さったまま、今も抜けないのです。

 

 

 

妹は、ちゃんと知っている

年末年始、3週間の地元滞在を1週間で切り上げ、東京へ戻ってきた私。

 

実家を出る前の夜、妹にもちょこっとだけ引き止められました。

その2日後は妹の成人式になるはずだった日でした。コロナの感染拡大で式典自体はなくなったものの、妹は振袖を着て、私を含めた家族みんなで親戚の家を周る予定でした。

 

「なんで帰っちゃうの? なんでそんなに東京戻りたいわけ?」

「家うるさいし…………あと、明日の親戚周り行きたくない」

「それはさぁ、お姉ちゃんが自分でコンプレックス作ったからでしょ。
 あたしは、お姉ちゃんも一緒に来て、写真撮ってほしいよ」

 

一人暮らしの家に帰りたいのは、音の問題と、親との関係が主な理由のつもりだったけれど。妹に言われて、「あ、それもあったのか」と、自分でも気づかなかった柔らかくて痛い部分を突き刺されたように感じました。

 

 

”コンプレックス”

それは、私が今も妹に対して深く感じている負い目を指しています。

 

1年程前にも書いたように、私は小さい頃、妹をいじめていました。それも、とってもひどく、心を傷つけるような方法で。妹も私に嫌なことをしてきたときはあったけど、それよりも私が妹にした分の方が多かったと思う。

 ごめん、ごめん、何度言っても足りないけど、ほんとうにごめん。

いちども話に出したことはないけど、私、ちゃんと覚えてる。あなたにどれだけひどいことをしてきたか。

ほんとうにごめん、ほんとうにごめん。

仲良くなった今になっても言わないのは、何もなかったことにしたいわけじゃないんだ。ただ、なんて言ったらいいのかわかんないんだ。ごめんじゃ済まされないことがわかってるから。

1月28日 妹に謝れない 


親戚の家にいる子どもたちは、みんな私より年が小さくて、一緒に遊ぶとき、私はリーダーのような存在でした。妹をいじめるときにも、その関係性を利用していました。

いとこたちと一緒にお風呂に入れば、「妹ちゃんがお花の役ね、みんなでお水あげよう!」と冷たいシャワーを浴びせたり。「ねえ〇〇ちゃん。かっぱちゃんと、妹ちゃんと、どっちが好き?」なんて、答えを知っていて本人の前でわざと聞いたり。

無邪気で幼いちびっこたちは、素直に私の言葉に従いました。

 

今は、妹との関係同様、すべては綺麗におさまっているように感じます。

妹といとこたちと4人で遊んだり、東京で日帰り旅行したり、進路の相談をしあったり、仲良し。

 

でも、妹の言うとおりでした。

新年が来て、親戚の家へ行くと、思い出すんです。

あ、そこでワンちゃんごっこしたな――妹を仲間外れにして。とか。たくさんたくさん。それで苦しくて、早くその場所を離れたくて仕方なくなる。

でも、ほんとうに妹の言うとおり、それは全て、私がやったことのせい。私が100%悪いこと。何の言い訳もしようがない。

 

 

「ほんとに帰るの? 写真とんないの?」

「…………うん、そのつもり。写真は、もう前撮りでみんなで撮ったじゃん」

「ふうん。まぁいいけど。部屋、綺麗にして出てってよねー」

 

妹はけろっとした顔で言って、そのまま自分のレポート課題に戻りました。

そして私は、そのまま逃げるように荷支度をして、翌日実家を発ちました。

 

 

 

偽善でも善は善・お面の下も笑顔になる

私は、良い人間じゃない。

でも、妹に「偽善者だ」と呼ばれた日からも、「良い人がやること」を考えて、そのとおり振舞う努力は惜しみませんでした。

誰かが困っていれば助ける。嫌いな子でもきつい言葉を言わない。悪いことをしても嘘で隠さないで謝る。妹とケンカしても蹴らないで離れる。

「こういうのが良い人」と思うことを片っ端からやっていきました。中学でも、高校でも続けました。

 

理由はふたつ。

 

ひとつは、「偽善でも善は善」と、テレビで言っていたのを聞いたから。
島田〇助さんだったかなあ。

小学生心に、なるほどなーと思ったんですよね。世間へのイメージアップのために芸能人が巨額の募金をしたのだとしても、そのお金は確かに誰かを助ける。

私の根っこが悪いやつでも、目の前で転んだ小学1年生を保健室に連れていく行為が「良いこと」であるのに変わりはないなって。

動機が偽善だろうが、行った善が消えるわけじゃない。

 

 

もうひとつは、「王様のお面」の絵本を読んだから。

優しいふりを続けていれば、それがしみついて、いつか本当に優しくなれる。
という説話です。

たしかこんな話。

 

むかしむかし、あるところに、毎日誰かに怒鳴っている王様がいました。

王様はいつも目を吊り上げていて、怒った顔をしています。あんまり顔が怖いので、誰も近寄らなくなりました。

 

そこで王様は、優しい笑顔の顔をした王様の顔の、お面を作らせました。

そしてそれから来る日も来る日も、そのお面をかぶって生活しました。声だけでも怒っているとやっぱりみんな怖がるので、顔に合わせて、家来たちにも優しくしました。

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王様は、お姫様と結婚することになりました。王様は

「実は、わたしは、ほんとうはこんな顔じゃないんだ」

と、ついにお面を外しました。

すると、お面の下の王様の顔は、お面と同じ、優しい笑顔に変わっていましたとさ。

 

ニコニコ笑顔の王様の絵だけ覚えてるのですが、どうにも正しいタイトルが思い出せなくて。検索でも探せませんでした。

知ってる方いたらぜひ教えてください、また読みたい。

 

話を戻します。

 

このお話を信じて、ここまで来ました。

 私は、本当は優しくない偽善者なんです。でも、いつか。いつか、本当に、善者になれるかもしれない。頭で「これは良いことだからやるべきだな」って考える前に、無意識にその行動を選ぶようになるかもしれない。

 

ただの絵本だけど、わりと根拠のある正しい教えと思うんですよね。

「あなたはA型だから真面目だね」って周りに言われ続ければ本当に真面目に育つ、とか、そういう研究データもいつだか読んだし。似たような例はいくらでもあるんじゃないでしょうか。

あと、尊敬する大学の先輩のLINEのステータスに "Fake it till become it"(ざっくり訳すと、「それになれるまで、それのふりをしよう」みたいな)とあって、これも同じことだなと思い。それ以降は勝手に座右の銘にしてます。

 

周りを欺くためじゃなく、自分に思い込ませるため。沁みこませるため。

本当に優しい人になれるまで、優しい人のふりをする。

 

それでもまあ、「優しい」って褒められると、罪悪感で潰されそうになるんですけどね。

 

 

偽善者にすら、なれない

偽善者でいい。善だと思うことを振舞っていれば。

――心からそう思っていても、現実は上手くはいかないときがあって。

 

「家うるさいし…………あと、明日の親戚周り行きたくない」

「それはさぁ、お姉ちゃんが自分でコンプレックス作ったからでしょ。
 あたしは、お姉ちゃんも一緒に来て、写真撮ってほしいよ。
 …………ほんとに帰るの? 写真とんないの?」

 

そう言われたときに本当は、そうだよね、ごめんね、って言って、残らなくちゃいけなかった。逃げるんじゃなくてさ。

何度でもまた妹に謝罪して、親戚の家へ行って自分の後ろめたさと向き合って、それで赤い振袖を着た妹と写真を撮るべきだった。

 

分かってたのに、結局今こうして、東京にいます。

 

善だと思うこと、とるべき行動を知っていたのに、それができなかった私は。

まだ、偽善者にすら、なれてないんだなと思います。