かっぱちゃんの耳

音と匂いに敏感すぎて困って病院に行ったら、ADHDの診断もらっちゃった大学生の備忘録。

発達のでこぼこと、「才能」と「障害」

去年の秋。

こんなことを言われました。

 

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その方は、とっても明るい笑顔でした。

悪意なんて一ミリもなくて、ただただ私のことを褒めてくれただけ。それはちゃんと、伝わってくる。

 

その場では、にこっと笑い返して「ありがとうございます」と返事をして。

家に帰ってから、ちょっとだけ泣きました。悔しくて悔しくてたまらなくて。

 

 

あの場面をお思い返すと、今でも心がグツグツ泡立ちます。

彼に対してではなく、自分の情けなさに対する怒りです。

どうして、ちゃんとその場で、思ったことを言わなかったんだろう。

 

普段どちらかと言うと私は、考えをそのまま口に出してしまって後悔する方のタイプです。だから、こういうときのやるせなさは、どうしたらいいかわからない。

もう何か月も経つのにまだ消化できていないので、ちゃんと言葉にしようと思います。

 

 

言いたかったことは、大きくふたつ。

順番に整理して、次もし似たようなことがあったら、声にできるようにしたいです。

 

 

1.「障害がある=才能もある」の認識は間違い

彼がイメージしていたのはおそらく、サヴァン症候群やギフテッド、2Eなどと呼ばれる方々。

サヴァン症候群精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。

サヴァン症候群 | e-ヘルスネット(厚生労働省)

生まれつき高い知能(IQ130以上が目安)や才能を持つ「ギフテッド」と呼ばれる若者たち。マーク・ザッカーバーグビル・ゲイツなども“ギフテッド”とされ、米国などでは国家の教育支援を受けている。

知られざる天才 “ギフテッド”の素顔 - NHK クローズアップ現代+

2Eとはギフテッドという才能をもちながら、また自閉症スペクトラムADHD、LDなどの発達障害もあわせ持つ人たちのこと。

【ギフテッド×発達障害】2E(Twice Exceptional :二重の例外)って知っていますか? | 淡海ネットワークセンター

 

確かに、知的障害や発達障害のある方々の中には、そのようなずば抜けた能力をもつ人は多くいます。

このカテゴリーの「障害」は、脳の発達が他の人と大きく違う、ってことなので、その違いが良い方にも悪い方にもいくんです。

同じ特徴でも、捉え方によって「才能」にも「障害」にもなります。味覚の感覚過敏が、強いこだわりとなって生きる上での障壁=障害となる一方で、ワインソムリエなどその並外れたセンス=才能を活かしている人もいます。

 

でも、みんながみんな、そういうわけじゃない。

発達のでこぼこをもつ子どもたちの多くが「才能児」ではなく「障害児」と呼ばれてきたのは、そのでこぼこが主に、不便に働くことが多いからです。(少なくともこの現代社会では)

「それ、才能だね」と捉えられる感性は素敵だけれど、その特性によって毎日とっても困っている側の中には「そんな気安く言わないで」という人もいます

だからもし触れるなら、すごくすごく慎重になるべきところだと思います。

 

そして、「きみ障害あるんだ、じゃあ、才能もあるんでしょう?」という見方は、押しつけです。

「あなた男なんだ、じゃあ、筋力あるんでしょ!」みたいな。あくまで「そういう人も多い」というだけで必ずしもあてはまる特徴ではないし、勝手に期待をかけられた側は嬉しくない気持ちになると思います。

 

 

 

2.人のがんばりを、もって生まれた資質と結びつけるのは、失礼になることもある

1の話と関連して。

 

 

自慢だと思われても仕方ないのですが、ここで謙虚になってもどうしようもないので言えば、おそらく私は、2Eの範疇に入ります。薄っすらですけど。(大学3年のときの知能検査ではIQ130でギリギリ定義に入るし、2Eを専門に研究している方からも、想像力だかアートだかの分野で、「突出した能力」にあたると言われたからです。このへんの根拠はまぁ省略。)

 

だから、彼の言った「かっぱちゃんもそうやんな!」の指摘。

あれはあながち間違いというわけでもないのです。

 

私が自分で得意だと思っている、お絵描きも、お話を書くことも。

実際、私の困っている「障害」の部分によって生み出された「才能」なんです。

前に感覚の過敏性を抑える薬を飲んだら、今まで創作活動に大活躍していた想像力も落ちたように。


彼の言ったことは、部分的に正しい。

でも、私は、悲しく感じました。

 

例えば……そうだなあ。

何時間もかけて書いた作文を、「すごい!あなたの才能のおかげだね!」と褒められたとき。

ラソンで1位をとって、「さっすが、足の速い〇〇くんの弟!」と言われたとき。

素直に喜べる人と、そうでない人がいます。私は後者です。

 

私は、自分が得意なこと、自分が好きな自分の長所を、遺伝とか体質とか、もって生まれた特性だけを理由に褒めるのは、ちょっと失礼なんじゃないかなと思います。

 

なぜならそれは、その人がそこに積み重ねてきた時間、努力を軽んじることになると思うからです。

 

確かに、生来もつ”センス”や体の特徴に助けられている部分は大きいのかもしれません。でもそれが事実であったとしても、直接その人に賞賛の言葉を述べるならば、その人ががんばった過程に目を向けるべきだと私は思います。

 

 

「絵も上手やし、小説もすんごいし」

そこだけなら、素直に喜べる。その人から見て、自分の作ったものが「上手」で、「すごい」ということだから。

でもそこに、障害とか、才能とか、つけないでほしかった。

 

 

 

こんだけグチグチネチネチと書いていますが、私は彼を責めたいわけではありません。

ただ、これから出会う子どもたちに、「そういう言い方は傷つく人もいるよ、なんでかっていうとね……」とちゃんと伝えられるようにしたいのです。

 

私もたぶん、無意識のうちに、もしくは善意で発した言葉で、人を傷つけていると思います。知識不足、配慮不足がどこかにあるはず。

無知が人を傷つけて良い理由にはなりませんが、だからこそ、「それはちょっと」って気づいた人が、できるだけその場で伝えてあげるべきだと思います。その方が将来的に、悲しい思いをする人が減るからです。

 

だから本当は、私もその場で、「その言い方はちょっと違うかもしんないです」って言うべきだったんですけど。

「時間をかけて説明しないとこの人は誤解しそうだし、私に苦手意識もちそうだし、っていうか別にこの人私が教えるべき子どもでもなんでもないし……」などと理由をつけて、そのままにしてしまいました。

 

こういう小さな後悔は、これからに活かす!と決意するしかないんですよね、悔しいけれど。

なので。

これからに活かす!