かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

これもこれで、ふつうの先生

小学校 特別支援学級の担任になって、半年。

昨日の朝。

教室で予定ボードを書き直していると、クラスの子たちがランドセルを背負ったままやってきて、モジモジしはじめました。

 

「せーの。」

「かっぱせんせい」

「たんじょうび」

「「「おめでとー!」」」

 

とっても嬉しかったです。

予想してなかったわけじゃないのですけどね。昨日もおとといも、カレンダーを読み違えた子が何人か、「きょう、せんせいたんじょうび!おめでとう!」って言ってくれてたし。

何度聞いても、日が合っていなくても、とってもとっても嬉しい。

喜ぶ私の様子を見た子どもたちは私以上に喜んで、不器用なスキップで跳ねながら、朝の支度にとりかかっていました。

 

 

ちょうど、動物園への遠足の日でした。

 

夜行性動物館の中は、狭くて薄暗い造りになっています。お化け屋敷みたい、と子どもたちは大興奮です。その声が反響して、なかなか辛い。

「他のお客さんもいるんだよ。しずかに見る!」と叱りつつ、大急ぎでイヤマフをつけ、ひとり館外へ脱出しました。中の子たちの見守りは、もう1人の先生に任せる他ないですが、仕方ないでしょう。

出てきた子どもたちに「せのじゅん4れーつ!」と声をかけて整列させながら、「なかなか良い誕生日だな」と思いました。

 

 

 

先生になる、少し前。

私は「ふつうの先生」になれるのか、悩んでいました。

 

実際に小学校の担任をもったら、 「じゃ、うるさいから先生出てるわー」なんて、掃除や昼休みのたびにぷらっと教室を空けることなんてできない。校外学習の引率でイヤーマフをしていたら、子どもたちに自動車が迫っても気が付けない。

 

職員室で何らかの配慮をもらうことはできても、子どもたちとの毎日を自分に過ごしやすいような環境に整えてもらうことは難しいと思うのです。

 

「ふつうの先生」になる必要性はなくても、ならざるをえないんじゃないかな、と思っています。

「ふつう」がないと思い出してからは、自分の目指す像をくっきりさせようと考え抜いて。

ずっと、ふつうの先生になりたかった。

でも、「ふつう」なんてないと思い出せた今は、自分がどんな先生を目指しているのか、ひとつひとつ細かく見ていこうと思いました。

 

せんせいと呼ばれるようになった、今の生活。

 

相変わらず、大きい音は苦手。運動会練習では、マイクの音がしんどくてイヤマフをつけていることも多いし。

書道の墨汁の匂いがどうしても気分が悪くなるので、教頭先生にお願いして、書写の授業は別の先生に代わってもらってたり。

校舎の中の騒がしさで疲れるので、毎日10時前には就寝。ちなみに職員室内もけっこう騒々しいので、定時で帰宅して、家で仕事をするようにしてたり。

給食で、匂いや味が苦手なおかずばかりなのも相変わらずです。夏休み前までは無理してでも全部食べていたけれど、それで気持ち悪くなって嘔吐してしまい、午後の授業を他の先生に頼むことが複数回あったので……今は極限まで事前に減らして、1口食べて厳しければ、残すことにしてたり(小声)。

 

完璧な先生ではありません。

世間で言われるような、「ふつうの先生」でもありません。

できないことも多いです。周りに迷惑をかけていることも多いと思います。

 

だけど、だけど、自分がなりたかった先生には、近づけているんじゃないかなと思うのです。ちょっと驕りすぎかなぁ。

 

クラスの子どもたちは、お互いのできないことを見つけるより、良いところを見つけるのが上手になりました。4月よりも1人1人の笑顔がとっても増えました。

4月、支援級の教室を何か異様なものを見る目で遠巻きに眺めていた通常級の子たちは、今では休み時間に遊びにきてくれたり、「○○学級の先生、どうして▽▽ちゃんは、~~が苦手なの?」と素直に質問してくれるようになりました。教員も同じです。

 

成果とか、効果とか、そういうのとは違うと思うんだけど。

でも、確実に、変化を感じます。私が、というよりも、私と周りの人たち子どもたちみんなで、そういう良い変化の風を生み出せていると思うのです。

 

 

 

先生になって、よかったな。

なんとか生きといて、よかったな。

 

心からそう思えるから、今の私はとってもしあわせ、ということで間違いないと思います。