かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

2月2日 「めんどうみなきゃいけない子」あつかい

仲良しの同級生、ネコちゃんとウサギちゃん。

いつも私と一緒に遊んでくれて、気遣ってくれて、とっても大好きです。

 

でも、「変わっちゃったな」と思うことがあります。

関係性、っていうのかな、ふたりから私がどうみられているか。

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「これです!」っていう証拠があるわけではないのですが、たしかにそう感じるのです。

ふたりのなかで、私はもう「対等な友人」じゃなくて、発達障害があるから、私たちがしっかりめんどうをみてあげなきゃいけない子」になってしまったんだなと。

ふたりが私に話しかけるときの口調が、これまでの(良い意味で)雑で軽いかんじじゃなくて、毎回毎回やさしく語り掛けるような――まるで、小さな子どもに問いかけるような口調なんです。

 

きっかけは、たぶん、クラスメイトの前でパニックになったあの日。

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こんなとこ見られたくなかったのに、見つかりたくなかったのに。

私は、パニックを起こして、階段の隅にうずくまったまま動けなくなっているところを、クラスメイトの何人かに、見つかってしまったのでした。

仲良しのふたりが、私のことを心配そうにのぞき込んでいました。

1月25日 みつかっちゃった - かっぱちゃんの耳

大学2年生が、泣きじゃくって、ことばも通じなくなるほどパニックになっていたら。

そりゃ、その後の見る目は変わるよな、と思います。

そこに私の不器用でにぎやかな振る舞いや、テンションの上がり下がりの大きな性格が加わったら、そりゃあもう、「子どもっぽい」になります。

 

おそらく、ふたりも無意識なんです。

私はそれを責めるつもりは全くありません。逆の立場だったら、私もそうなっていたと思います。むしろ、いつも気遣ってくれて助けてくれて、ほんとうにありがとうって思っています。

 

ただただ、さびしいのです。

ふたりはもう、ちょっとオトナな恋バナを私にしてくれなくなった。

私が困ってないか常に気にしてくれる代わりに、困ったときに相談してくれなくなった。

 

仕方ないことなんです。

でも、さびしい。

 

 

 

「それはね、関係性が『変わってしまった』じゃなくて、『つぎの関係性に成長していく途中』って考えたらどう?」

しーちゃんはそう言ってくれました。

「実際、私たちの関係性だって、近づきすぎたりいろいろあったけど、同じように変化してきたじゃん。ネコちゃんもウサギちゃんも、別にかっぱちゃんのことを下に見てるわけじゃないよ」

そのとおりなんだろうな、と思います。

もう少し時間が経てば、たぶんぜんぶ上手くいくんです。

「こういうときはたすけて」「今はそういう配慮はいらないよ、ありがとう」

そういった一言が言えるようになって、私とふたりは、また対等に支え合える関係になれるはず。

 

でも、もう時間がないんです。

 

あと1か月で、ふたりは卒業してしまう。

そしたら、そう簡単には会えなくなって、関係性はその時点のまま固まってしまう気がします。

 

悠長に待ってなんかいられない。

あんなに近くにいたふたりが遠くなってしまうことよりも、いま、私の「上」にいるかんじがすることが耐えられません。

一方的に、「めんどうみてもらう側」になっているのが、かなしいのです。

 

 

どうすればいいのか、わかりません。

「そんなふうに接するのやめて」なんて言ったら、距離が遠のきそうな気がして。

でもこのまま放っておいたら、きっと卒業後に再会してもこの「先生と子ども」のような関係のまま。

 

かなしい。

それにくやしい。

 

私、たしかに子どもっぽいし、体弱いし、人とは違うタイミングで困ることがあるけど。

同じ、大学四年生じゃん。

ふたりと同じようにいろいろ悩むし、ドロドロな恋愛関係も経験したし、勉強も部活もがんばって、一人暮らしもして、しっかり生きてる。

ふたりと、同じなんだよ。

ひとりだけ特別扱いしないで。子ども扱いしないで。

 

 

 

どこに向かって叫べばいいのか、わかりません。