2月2日 「めんどうみなきゃいけない子」あつかい
仲良しの同級生、ネコちゃんとウサギちゃん。
いつも私と一緒に遊んでくれて、気遣ってくれて、とっても大好きです。
でも、「変わっちゃったな」と思うことがあります。
関係性、っていうのかな、ふたりから私がどうみられているか。
「これです!」っていう証拠があるわけではないのですが、たしかにそう感じるのです。
ふたりのなかで、私はもう「対等な友人」じゃなくて、「発達障害があるから、私たちがしっかりめんどうをみてあげなきゃいけない子」になってしまったんだなと。
ふたりが私に話しかけるときの口調が、これまでの(良い意味で)雑で軽いかんじじゃなくて、毎回毎回やさしく語り掛けるような――まるで、小さな子どもに問いかけるような口調なんです。
きっかけは、たぶん、クラスメイトの前でパニックになったあの日。
こんなとこ見られたくなかったのに、見つかりたくなかったのに。
私は、パニックを起こして、階段の隅にうずくまったまま動けなくなっているところを、クラスメイトの何人かに、見つかってしまったのでした。
仲良しのふたりが、私のことを心配そうにのぞき込んでいました。
大学2年生が、泣きじゃくって、ことばも通じなくなるほどパニックになっていたら。
そりゃ、その後の見る目は変わるよな、と思います。
そこに私の不器用でにぎやかな振る舞いや、テンションの上がり下がりの大きな性格が加わったら、そりゃあもう、「子どもっぽい」になります。
おそらく、ふたりも無意識なんです。
私はそれを責めるつもりは全くありません。逆の立場だったら、私もそうなっていたと思います。むしろ、いつも気遣ってくれて助けてくれて、ほんとうにありがとうって思っています。
ただただ、さびしいのです。
ふたりはもう、ちょっとオトナな恋バナを私にしてくれなくなった。
私が困ってないか常に気にしてくれる代わりに、困ったときに相談してくれなくなった。
仕方ないことなんです。
でも、さびしい。
「それはね、関係性が『変わってしまった』じゃなくて、『つぎの関係性に成長していく途中』って考えたらどう?」
しーちゃんはそう言ってくれました。
「実際、私たちの関係性だって、近づきすぎたりいろいろあったけど、同じように変化してきたじゃん。ネコちゃんもウサギちゃんも、別にかっぱちゃんのことを下に見てるわけじゃないよ」
そのとおりなんだろうな、と思います。
もう少し時間が経てば、たぶんぜんぶ上手くいくんです。
「こういうときはたすけて」「今はそういう配慮はいらないよ、ありがとう」
そういった一言が言えるようになって、私とふたりは、また対等に支え合える関係になれるはず。
でも、もう時間がないんです。
あと1か月で、ふたりは卒業してしまう。
そしたら、そう簡単には会えなくなって、関係性はその時点のまま固まってしまう気がします。
悠長に待ってなんかいられない。
あんなに近くにいたふたりが遠くなってしまうことよりも、いま、私の「上」にいるかんじがすることが耐えられません。
一方的に、「めんどうみてもらう側」になっているのが、かなしいのです。
どうすればいいのか、わかりません。
「そんなふうに接するのやめて」なんて言ったら、距離が遠のきそうな気がして。
でもこのまま放っておいたら、きっと卒業後に再会してもこの「先生と子ども」のような関係のまま。
かなしい。
それにくやしい。
私、たしかに子どもっぽいし、体弱いし、人とは違うタイミングで困ることがあるけど。
同じ、大学四年生じゃん。
ふたりと同じようにいろいろ悩むし、ドロドロな恋愛関係も経験したし、勉強も部活もがんばって、一人暮らしもして、しっかり生きてる。
ふたりと、同じなんだよ。
ひとりだけ特別扱いしないで。子ども扱いしないで。
どこに向かって叫べばいいのか、わかりません。