4月21日 好きなこと=得意なこと
とある教育関係で働くADHDの方の記事を読んでいて、「あー!あるある!!かも!」と思ったもの。
発達障害がある方のうち、ADHDとASD(自閉症スペクトラム・旧アスペルガー症候群)の最大のメリットは、好きなことと得意なことが一致しやすいということだと思う。
ADHDのある方の場合(私も含む)、好きなことに対しては過集中が働きやすい。時間を忘れて取り組むので、好きなことが結果として得意なことになるように感じる。私で言えば、講師という仕事が好きなのだが、資料作成の準備をしている時に過集中に入ることがある。ある時は、7時間微動だにせず集中して資料を作り続け、かなり満足のいくものが作れたことがある。
私の場合も、得意なことと好きなことはほぼほぼ一致しています。唯一の例外は武道。
好きなことなら、いっぱいあります。
本を読むこと。
子どもとかかわること。
パソコンでお話を作ったり、何か文章を書くこと(手書きは苦手だけど)。
ピアノの弾き語り。妹と歌うこと。
武道を習うこと(向いてないけど)。
英語を話して、ちょっと違う自分になること。
好きな科目について勉強すること。
自己紹介用紙の「得意なこと」には、好きなことを書くことにしています。「自分のいいところ」って考えると、途端に自身がなくなっちゃうから。
好きなことは得意なこと、嫌いなことは苦手なこと。
それって、みんなも同じだと思っていました。
「好きこそものの上手なれ」という言葉もあるし。
でも、「それもちょっと特性かかわってるんだよ」というのを見て考えてみれば、「勉強が好きだけど成績が伸びない友達」とか「妹は走るの嫌いだけどめっちゃ速い」とか、いくつも例は思いつくものです。
なんで今まで気づかなかったんだろうな。
もうひとつ当たり前だと思っていたのは、好きなことを始めたら、時間がびゅんびゅんなくなること。
多動と衝動がひどく、「よく動くなあ」と言われてばかりの私でも、自分の好きなことをしているときの集中度なら負けません。大きな音がしなければだけど。
いったいどこまでが集中で、どこからが「(発達障害の特性による)過集中」なのかはよくわからないですが。
絵を描いていると、ごはんを食べたりトイレにいくのを忘れます。先に「ここまで描いたら終わる」って自分で決めておかないと、中断させられるのが不快でしょうがない。
食欲、睡眠欲、その他いろんな体のサインというのは、不便なものだと思います。必要でも、欲求が出てこなかったり、もしくは出ていても気づきにくいのです。
スマホのように、「ピロン!充電が残り15%です」って音と光でお知らせしてくれればいいのになあ、と思います。
パソコンで何か書いているときも、集中が続くのは同じです。「切れ目」が少ない分、集中の途切れなさは私の中でいちばんかもしれません。
「切れ目」というのは、「中断させられても、まぁ許せるきりのいいところ」という意味です。本なら、次の章にいくとき。絵を描くときなら、色塗り用のペンに持ち変えたり、スケッチブックのページをめくるとき。
パソコンで資料を作っているときや、ブログを書いているとき、お話を作っているときは、なかなかその「切れ目」というものが少ないのです。
だから、家にひとりでいるときは、ほんとうに延々と続けてしまいます。文字通り、「日が暮れる」んです。書くことが尽きるか、肩凝りで上手く腕が動かなくなるまで、パチパチカチカチしてられる。
そのせいか、パソコンの扱いは比較的得意です。ずば抜けて知識に長けているわけではないけれど、タイピングは中学生の頃からクラスで上のほうでした。
好きなことが得意なことになるからくりは、こういうことなんだなあと思います。
私のめざす教師という職業は、私の好きなことがたくさん入ってます。
だからきっと、得意だって、うるさいところが苦手なんだとしても向いてるんだって、信じたいです。