かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

5月1日 うれしいときを思い出す

なんだか元気が出ない日は、自分がうれしいときを思い出します。

枕草子みたいに、頭のなかで並べるんです。

 

部活がある日の朝。

妹とこっそりビーフジャーキーを食べるとき。

図書館で新しい本を借りた空きコマ。それをカフェラテを飲みながらのんびり読み進めるとき。

いとこの子守りをするとき。いとこが舌ったらずな声で名前を呼んでくれたとき。

久々にネコちゃんやウサちゃんたちに会える日。

家庭教師先の親御さんに感謝されるとき。

しーちゃんと夜に電話するとき。

バイト代が入ってひとりでちょっと贅沢するとき。豚骨らーめんとか。

授業のノートが綺麗にとれたとき。

妹とふたりでお出かけする休日。

1時間目が休講の日。

いとこに絵を描いてと頼まれたとき。

夕食後のデザートを食べるとき。

 

 

毎日には、つまらないことも大変なことがごろごろ落っこちています。全部はよけきれないから、ゴチンとぶつかってばかり。

だけど、ちゃんと思い出さないといけません。

私にはうれしいときも多いのです。

 

同級生がいなくてひとりぼっちになる大学のこと、しーちゃんも卒業してしまう来年のこと、バイトを辞めたあとのこと、いつになるかわからない一人暮らしのこと、教員採用試験や卒業論文のこと。

近くにも遠くにも、不安の種がもくもくふくらんでいて、まるで先が薄暗く見えるけれど。

別に前が暗かろうが霧だろうが、その日一日分だけ、歩くことはできるのです。見えなくても別にいい。一日分ずつ、ちょこまかちょこまか、目の前のことを一生懸命こなすしかないわけで。

そうしたらそのうち過ぎていって、なんとか生きてるっていうことになるんだと思います。