4月30日 からっぽの時間の使い方
今週末、父上とひとりぐらしの部屋の候補の内見に行ってきます。
インコ先生の助言もあり、無事に家族を説得することができたのです。
細かくは書かないけれど、とにかく私が楽になる方向に進んでよかった。
一か月もしないうちにひとりぐらしを始める(ことを願っている)うえで、不安に思っていることはいくつかあるのだけど。
そのなかで、「なにもない時間が増える」というものがあります。
もっとも、これは私が、しんどい通学時間を減らしたいと願っている結果なので、喜ばしいことでもあるのだけど。
私にとって、なにもない時間というのは、すごくむずかしいのです。暇な時間は、苦手。
休むって何をすればいいのか、ずっとわかりませんでした。
手か頭を動かしていないと落ち着かない私にとって、何もしない時間があること、暇なことは、ただただ何をすればいいのかわからなくて困るだけです。楽しくないし。
長期休暇のような長い「休憩」もそうだし、「ちょっとこのベンチで休もう」とかの短い「休憩」も。
無趣味なわけでは、ないと思うのです。
”空いた時間に”絵を描くのも好きだし、本を読むのも楽しいし、パソコンでブログや小説を書くのも時間がびゅんびゅん過ぎていきます。
でも、実はそれも、前日に「明日はこれをしよう」って予定を立ててあったり、「書きたいことができた。書かないといけない」って必要性があったり。とにかく何かしら事前に決めておいてあることです。
こういうふうに、空いた時間の過ごし方であっても、ちゃんと決めておきたいのです。
だから、うっかり予定を作り忘れた、あいだの時間を使うということが、どうにも苦手なのです。やること決めてないときに、適当に暇を埋めるというのが上手くできない。
毎日電車の中で時間をつぶすのに必死で、嫌気が差しているからなのかもしれないませんが。
「まだまだ時間がある。次、何しよう」
「これが終わったら、あと何をすればいいんだっけ」
そうして考えて、やることがいっぱいあるときは楽しい。家事も趣味も、順番を立ててせっせとこなすのが気持ちいい。
その分、「次にすべきことが何もない」という状態が、すごく怖いんです。
何しよう。何すればいい?
そうやって考えて、考えて、自分がいま暇だということに気づくのが怖い。
固まるという意味ではなく、頭がまっしろになります。
いつもそこにあるはずの、脳内やることリスト、「今日の私の動きかた」表がないと、ひどくうろたえてしまうのです。
何すればいい?どうすればいい?誰か指図して。
絵を描く?読書する?ブログ書く?そんなの、決めてないから取りかかれない。家事もぜんぶ終わってしまった。やるべきことがないなら動けない。
うろたえるという表現は適切でないかもしれません。ひたすらに困ったような、悲しいような、不安な気もちになります。
それで、うろうろ、うろうろ、してしまうのです。やることがいっぱいあるときと同じように部屋の中を歩き回ってしまいます。動物園の大型獣のようにぐるぐる、うろうろ。
なさけないけど、最近気がつきました。
私、やることがないと、どうすればいいかわからない。
だから、ひとりぐらしになって、時間が増えるのがちょっと心配です。
同居人の目を気にして無理やり机に座って何か作業をしたり、何気ない言葉を交わしたりしてちょっと落ち着けるタイミングがなくなります。
そこに誰かがいるだけで、知らず知らずのうちに防げる暴走というのは多いと思うのです。
私、暇になっちゃって、大丈夫かなあ。
自分で家事が増えるからいいのかな。がんばって料理を始めるのもありかもしれない。
対策を考えます。