かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

4月11日 泳げ!かっぱちゃん

長い長い春休みも、今日で終わりです。

 

休むって何をすればいいのか、ずっとわかりませんでした。

手か頭を動かしていないと落ち着かない私にとって、何もしない時間があること、暇なことは、ただただ何をすればいいのかわからなくて困るだけです。楽しくないし。

 

長期休暇のような長い「休憩」もそうだし、「ちょっとこのベンチで休もう」とかの短い「休憩」も。

「休む」って、むずかしいです。よくわかんないです。

「今は、じっとする」「寝る」って言われればわかるけど、できるかは別です。落ち着かないから、じっとしていられないんだし、過呼吸か薬で眠くなるんじゃなければ、眠くなんてならないし…って思ってしまいます。

1月26日 すごく困ったとき用セット

ただ、短い休憩は、絵を描くとか本を読むとか、なんとか「休むためにやること」を見つければ時間が過ぎていくけれど、長い長い休憩はそうもいきません。

 

あと、長期休暇のゆるさに慣れきってしまって、新学期が始めるのが怖いです。

勉強は楽しいけど、学校はすごく騒がしいのです。それに、遠い。

もう、日中うるさい人ごみに30分出かけただけで「つかれたー」と布団にもぐりこめない。

落ち着かないとき、気まぐれに絵を描き始めたり、急にお風呂に入ったりできない。帰りたくなったときにすぐ家に帰れない。

休みたいときにすぐ休めない場所に行かなくてはいけません。それに慣れないといけません。

 

前学期まで、それができていたはずなのです。欠席も多少あったけど基本的には毎日ちゃんと大学まで行って、帰ってきてた。授業もがんばれてたんです。

なのに、なぜ今こんなにゆるい休憩期間なのに、すぐ疲れてしまうんでしょう。

何もしてないのに、「もうやだー」って布団に倒れこんでしまうんでしょう。

なさけない。

 

なさけない、なさけない。

こんなにがんばれないんじゃ、授業が始まるのなんて無理だ。

 

そんなふうに、不安をもごもごさせながら暇を持て余していたら。

また、知人のブログで、目が留まる一節がありました。

 

毎朝起きて、外に出掛けて、ご飯を作って食べて、洗濯物を干して畳んで、掃除をして、歯磨きをして、人と関わって。

意識はしていなくとも、こうして日々の生活を保っていくことに僕たちはエネルギーを燃やしている。(中略)

 

めんどくさいんだ、生きるって。

それプラス、やりたいことややらなければいけないことをしているのだ、人間は。本当にすごいよ、えらいよみんな。

 

休むことって、泳ぐのをやめることではなくて、スピードをちょっとゆるめてみることだった。 ゆったりと泳ぎ続けている自分を感じることだったんだ。

泳ぎ続けることが大事だと、魚は言った - 三日坊主の三年日記

 

そういえば、そうだった。思い出した。

 

生きるのは、あんまりかんたんじゃない。

だから、なんとか生きてるだけで、えらい。

 

私、いまは休憩中だけど、それでも毎日がんばって泳いでるんだった。

ちゃんと泳いでる。

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朝から用事がなくても、きちんと布団から起きるなんてえらい。

すごく苦手なのに、スーパー行って食べ物を買ってえらい。

めんどくさくても毎食ちゃんとたべてえらい。

がんばって生きててえらい。

 

何度も、同じことに気づいては忘れ、思い出してはまた忘れ、またしばらくして何かのきっかけに思い出すのです。

わたし、がんばって毎日生きてて、えらい。がんばってる。

疲れるってわかってても家族に顔を見せに帰るなんて、すごくえらい。それでまたちゃんと次の日からトーキョーの電車と人ごみにもまれる生活して、すごい。とってもがんばってるじゃん。

 

自分に甘い。

周りにそうやって見えるぐらいが、ちょうどいいさ。

ちゃんと自分にやさしくできて、えらい。

自分に甘くできて、えらい。

3月3日 自分に甘く。 

「何もしてない」長期休暇。

ちゃんと自分ががんばってることを、ときどき思い出そうと思います。

 

 

 

さて、蛇足。

…クサいことばかり書くのは好きじゃないけど、まあ心情メモとして。

いつかは書かなきゃと思っていたこと。

 

 

私は今、若くて、健康で、しあわせです。

だけど、明日の朝、いつもどおりに自分の布団で目が覚めるとしたら、それはすごくラッキーなこと。

外に出掛けられるのも、自分の家に帰れるのも、ごはんを口に運ぶのも、お父さんに小言をいわれてふくれるのも、ぜんぶ、ものすごく幸運が続いているだけ。あたりまえじゃなくて。

 

昨年悲しいことがあってから、言葉だけじゃなく、心の底からそう思うようになりました。

 

今日の夜にでも、私は急に、この世界からいなくならなければいけなくなるかもしれない。豪華な木箱に入れられて、それからずっと眠っていなくちゃいけなくなるかもしれない。

そんなのは嫌だ。

けど、起こっても不思議じゃない。こんなに元気だけど。

 

 

生きてるのは、たいへんです。

何度も言うけど、やっぱり「何もしていない」毎日を過ごしているんだとしても、大変なんです。どういうわけか。

えらいよって自分にやさしくできても、やっぱり疲れていやになるときもあります。

 

だけど、泳ぐのをやめるときは、私の意思で決められません。それがいつ、どんな形でやってくるのかもわかりません。

 

それまでは、なにがあっても、泳ぎつづけたい。

意地でも。

なんとか、泳ぎつづけていたいと思う。