4月11日 泳げ!かっぱちゃん
長い長い春休みも、今日で終わりです。
休むって何をすればいいのか、ずっとわかりませんでした。
手か頭を動かしていないと落ち着かない私にとって、何もしない時間があること、暇なことは、ただただ何をすればいいのかわからなくて困るだけです。楽しくないし。
長期休暇のような長い「休憩」もそうだし、「ちょっとこのベンチで休もう」とかの短い「休憩」も。
「休む」って、むずかしいです。よくわかんないです。
「今は、じっとする」「寝る」って言われればわかるけど、できるかは別です。落ち着かないから、じっとしていられないんだし、過呼吸か薬で眠くなるんじゃなければ、眠くなんてならないし…って思ってしまいます。
ただ、短い休憩は、絵を描くとか本を読むとか、なんとか「休むためにやること」を見つければ時間が過ぎていくけれど、長い長い休憩はそうもいきません。
あと、長期休暇のゆるさに慣れきってしまって、新学期が始めるのが怖いです。
勉強は楽しいけど、学校はすごく騒がしいのです。それに、遠い。
もう、日中うるさい人ごみに30分出かけただけで「つかれたー」と布団にもぐりこめない。
落ち着かないとき、気まぐれに絵を描き始めたり、急にお風呂に入ったりできない。帰りたくなったときにすぐ家に帰れない。
休みたいときにすぐ休めない場所に行かなくてはいけません。それに慣れないといけません。
前学期まで、それができていたはずなのです。欠席も多少あったけど基本的には毎日ちゃんと大学まで行って、帰ってきてた。授業もがんばれてたんです。
なのに、なぜ今こんなにゆるい休憩期間なのに、すぐ疲れてしまうんでしょう。
何もしてないのに、「もうやだー」って布団に倒れこんでしまうんでしょう。
なさけない。
なさけない、なさけない。
こんなにがんばれないんじゃ、授業が始まるのなんて無理だ。
そんなふうに、不安をもごもごさせながら暇を持て余していたら。
また、知人のブログで、目が留まる一節がありました。
毎朝起きて、外に出掛けて、ご飯を作って食べて、洗濯物を干して畳んで、掃除をして、歯磨きをして、人と関わって。
意識はしていなくとも、こうして日々の生活を保っていくことに僕たちはエネルギーを燃やしている。(中略)
めんどくさいんだ、生きるって。
それプラス、やりたいことややらなければいけないことをしているのだ、人間は。本当にすごいよ、えらいよみんな。
休むことって、泳ぐのをやめることではなくて、スピードをちょっとゆるめてみることだった。 ゆったりと泳ぎ続けている自分を感じることだったんだ。
泳ぎ続けることが大事だと、魚は言った - 三日坊主の三年日記
そういえば、そうだった。思い出した。
生きるのは、あんまりかんたんじゃない。
だから、なんとか生きてるだけで、えらい。
私、いまは休憩中だけど、それでも毎日がんばって泳いでるんだった。
ちゃんと泳いでる。
朝から用事がなくても、きちんと布団から起きるなんてえらい。
すごく苦手なのに、スーパー行って食べ物を買ってえらい。
めんどくさくても毎食ちゃんとたべてえらい。
がんばって生きててえらい。
何度も、同じことに気づいては忘れ、思い出してはまた忘れ、またしばらくして何かのきっかけに思い出すのです。
わたし、がんばって毎日生きてて、えらい。がんばってる。
疲れるってわかってても家族に顔を見せに帰るなんて、すごくえらい。それでまたちゃんと次の日からトーキョーの電車と人ごみにもまれる生活して、すごい。とってもがんばってるじゃん。
自分に甘い。
周りにそうやって見えるぐらいが、ちょうどいいさ。
ちゃんと自分にやさしくできて、えらい。
自分に甘くできて、えらい。
「何もしてない」長期休暇。
ちゃんと自分ががんばってることを、ときどき思い出そうと思います。
さて、蛇足。
…クサいことばかり書くのは好きじゃないけど、まあ心情メモとして。
いつかは書かなきゃと思っていたこと。
私は今、若くて、健康で、しあわせです。
だけど、明日の朝、いつもどおりに自分の布団で目が覚めるとしたら、それはすごくラッキーなこと。
外に出掛けられるのも、自分の家に帰れるのも、ごはんを口に運ぶのも、お父さんに小言をいわれてふくれるのも、ぜんぶ、ものすごく幸運が続いているだけ。あたりまえじゃなくて。
昨年悲しいことがあってから、言葉だけじゃなく、心の底からそう思うようになりました。
今日の夜にでも、私は急に、この世界からいなくならなければいけなくなるかもしれない。豪華な木箱に入れられて、それからずっと眠っていなくちゃいけなくなるかもしれない。
そんなのは嫌だ。
けど、起こっても不思議じゃない。こんなに元気だけど。
生きてるのは、たいへんです。
何度も言うけど、やっぱり「何もしていない」毎日を過ごしているんだとしても、大変なんです。どういうわけか。
えらいよって自分にやさしくできても、やっぱり疲れていやになるときもあります。
だけど、泳ぐのをやめるときは、私の意思で決められません。それがいつ、どんな形でやってくるのかもわかりません。
それまでは、なにがあっても、泳ぎつづけたい。
意地でも。
なんとか、泳ぎつづけていたいと思う。