5月6日 大教室と、つかれる毎日のこと
日常のなかのいろんな困っていることの多くは、薬で症状が抑えられたことで楽になったり、良い対処法が見つかったりして、なんとかできるようになりました。
ただ、毎日のことでまだ、解決法が見つかっていないこともあります。
それが、授業が始まる前の教室の喧騒をどう乗り切るか。
今のところは、教室に荷物だけ置いて場所取りをしたうえで、廊下に出て先生が歩いてくるまでうろうろしたり。
もしくは、教室で耳栓をしたままじっと耐えたりしています。授業時間になっても先生がなかなか来ないときなどは最悪です。いつ終わるかわからない、がんがん響く音の壺のなか。出るに出られません。
うっかり授業が始まるぎりぎりに教室に到着すると、さらに困ることになります。
教室の入り口から響いてくる音があまりに大きくて、中に入れないのです。ちょうど、スーパーに行かなければならないときと同じ。音に足が竦むのです。
やはり、何よりの元凶は、自分ルールなのだと思います。
タケノコ先生もインコ先生も、
「無理に教室内にいなくていいんだよ」
「後から入っても、先生は怒らないよ。そのために配慮願いを出してあるんだよ」
と言います。
そしてそれは事実だと思うのです。
私には、しんどい思いをして教室で先生を待たなくても良いという、正当な理由がある。
だけど、それが上手くできません。
周りの学生は知らない人ばかりだから、周囲からの思われ方が気になるというわけでもないし…
縛っているのは、やっぱり自分のルールなのです。
「授業が始まる5分前には、ちゃんと着席していないといけない」
「着席した状態で、先生を待たないといけない」
私のなかの常識のような、固いロープ。それがあるから、うまく動けないのだと思います。
なにかいい方法はないものか…
朝から大教室での授業がしんどくて。
小教室でもぐわんぐわん音が響いて。
帰り道の駅でパニックになりかけて。
電車もやっぱり辛くて。
スーパーの喧騒に泣きそうになりながら夕食の買い出しをして。
とっても、つかれる。
どうにもこうにも、もうつかれてしまいました。
明日も早起きをして、満員電車に揺られて、大学に行かなくちゃいけない。楽しいけどつかれる授業をなんとか耐え忍ばなきゃいけない。
叶うかもよくわからない夢のために、それを毎日毎日、延々と繰り返さなきゃいけないんです。
今日をなんとか終わらせても、また明日が来る。
そんなに嫌なら学校に行かなきゃいいじゃないかというと、家にいるのもそれはそれでやることがわからなくてしんどいわけで…私はどうしたらいいんだろう。
大事なことを思い出すために、自分のブログを読み返すんです。何度も何度も。
わたし、がんばって毎日生きてて、えらい。がんばってる。
疲れるってわかってても家族に顔を見せに帰るなんて、すごくえらい。それでまたちゃんと次の日からトーキョーの電車と人ごみにもまれる生活して、すごい。とってもがんばってるじゃん。
生きてるのは、たいへんです。(中略)
えらいよって自分にやさしくできても、やっぱり疲れていやになるときもあります。
だけど、泳ぐのをやめるときは、私の意思で決められません。それがいつ、どんな形でやってくるのかもわかりません。
それまでは、なにがあっても、泳ぎつづけたい。
意地でも。
なんとか、泳ぎつづけていたいと思う。
なんだか元気が出ない日は、自分がうれしいときを思い出します。
枕草子みたいに、頭のなかで並べるんです。
部活がある日の朝。
妹とこっそりビーフジャーキーを食べるとき。
図書館で新しい本を借りた空きコマ。それをカフェラテを飲みながらのんびり読み進めるとき。
いとこの子守りをするとき。いとこが舌ったらずな声で名前を呼んでくれたとき。
久々にネコちゃんやウサちゃんたちに会える日。
家庭教師先の親御さんに感謝されるとき。
しーちゃんと夜に電話するとき。
バイト代が入ってひとりでちょっと贅沢するとき。豚骨らーめんとか。
授業のノートが綺麗にとれたとき。
妹とふたりでお出かけする休日。
つかれた。
もうやだな。
やだけど、なんとかこなすしかないんだよな。
今日ちゃんと寝る。
それで、とりあえず、明日をがんばって乗りきってみる。
その先のことは、また考えます。