4月8日 支援室の新しい先生
年度が替わって、支援室の新しい先生と顔合わせの日でした。
今度は女性の先生でした。
信用できる人だろうかとやや警戒しながら面談したのですが、インコ先生のざっくばらんな話し方と明るさは、こちらが警戒しているのが馬鹿らしくなるほどでした。
診断書や配慮願いに目を通して確認した後は、さっそく授業や生活で困っていることの話。先日さかな先生に見せた、「なんとかしたいなと思うこと」の紙をそのまま出しました。
インコ先生は、私が困ってることひとつひとつ、早口なのにゆっくり丁寧に対処法を一緒に考えてくれました。
そのなかで3つ。
1つめに、授業中うるさくて教室から退避したときの逃げ場問題。
今までどおり支援室やウッドデッキでもよいけれど、廊下のところどころにあるベンチをもっと使いやすいように、もし必要な場所があれば設置できないか大学側に掛け合ってみてくださるんだそうです。そんなことまでできるんだ。
とりあえず、今年度も支援室は避難場所として使えるようで安心。
2つめに、家族のこと。
家族の前で、「悲しい」とか「つらい」を見せられないこと。
「今こまってる」とか「助けてほしい」とか言えないこと。
発端となった自動車学校が解決した今も、家族の前が少し息苦しい場所であることは相変わらずです。父上も母上もあれから変化して、私の捉え方も変化したけれど、それでもやっぱりです。
必要なら、インコ先生が直接親と面談もしてくださるのだそうです。最終手段としてとっておける策があるのは、とっても頼もしい。
3つめに、頼れる人が増えなくて、しーちゃんがいなくなったら困っちゃう問題。
保健管理センターへは、一人で行けるようになりました。国立精神医療研究センターにも、こないだ練習をしたから、次回から一人で行けると思います。電車の帰り道に困ったときは、ちゃんと父上に連絡できるようになりました。パニックなりかけ、過呼吸直前も、自分で対処して落ち着けることが増えてきました。
成長は、してるのです。
でも、まだまだ。
ほんとうに困ったとき、頼れる綱がほんとうに少ない。
春休みが終われば、タケノコ先生だけでなく、うさちゃんネコちゃん、しーちゃんがいなくなった大学に毎日通わなければいけないのだという実感が時間を経るごとに湧きだします。
そんなに急に、手を離さないで。
いま、ひとりで進む練習してるの。時間かかってるけど、まだ練習の途中なの。
みんな一度にいなくならないで。
私、まだ準備できてないよ。まだだよ。
ひとりになっちゃうよ。
インコ先生は、
「もう4年生だから、この一年でいろいろ一人でできるようになると、卒業後も役に立つと思うわ。
でも、いきなり助けてくれる人がなくしちゃうと、すごく困っちゃうから。
ゆっくり、少しずつね」
と言っていました。
私も、そのとおりだと思います。
だけど、ほんとうに、ゆっくり少しずつ進めるだけの時間があるんでしょうか。それがわからないのです。
家族にちょっとずつ話せるようにはなってきているけれど、その進度はもしかして遅すぎるんでしょうか。このままのペースでいいんでしょうか。
お医者さんや支援室の先生など、「専門のおとなの人」に頼れるようになりたいけど、まだいまいち頼り方がわからない。
卒論を控えたしーちゃんやネコちゃんたちに負担をかけたくなくてがんばっているけれど、すごくがんばってるつもりなのだけど、あんまり上手くいかない。ほんとうにダメなときに頼れるような下の学年の友達は、まだできていないままです。話はしたけれど、信頼関係や友情が築き上げられているかはまた別の話なんです。
ゆっくりって、いつまでかかっていいんでしょうか。
少しずつって、どれくらいなんでしょうか。
のんびりしている間に、気が付いたら助けを求められる人が誰もいなくなってしまわないでしょうか。
私はそれが怖くてたまりません。
最近の漠然とした焦りと不安のいくらかは、ここにあったのかもしれないと気づきました。
今日は「支援室の先生」というより、「初めての人」だったので、あまりうまく話せなかったし、話を聞くことで精一杯だったけれど。
次回行くときは、もう少しリラックスして、私もちゃんと話したいです。
それに今度は、しーちゃんがいなくても一人で行けるといいなと思います。
おまけ
水陸両用は、初めての褒められ方。
「でも、オールマイティーだからこそ、センシティブなところもあるのよね。『かっぱ』、ぴったりじゃない!かわいい!ステキ!」
とべた褒めしてもらいました。うれしい。