かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

ニガテと生きるキミたちへの絵本

 

1年半続けてきた、とある小学校の特別支援学級での支援員ボランティア。

地元への引っ越しに伴い、もうすぐおしまいです。

「最後に1時間、好きな授業をしていいよ。英語でも何でも、かっぱちゃんがやりたいことをやりな」

と、2カ月ほど前に先生から伝えられました。

 

それから、ずーっと考えていました。

私にたくさんのことを教えてくれた子どもたちに、私がいちばん伝えたいことってなんだろう?

たった一度きり、45分の授業で、何が伝えられるんだろう?

 

  • 世界は広いよ! もしかしたら自分がいちばん生きやすい場所は、ここじゃないかもしれないよ!(留学経験の共有、異文化理解)
  • よのなか、いろんな人がいるよ! 実は今隣に座ってる友達の考えてることもぜんぜん分かってないのかもしれないし、ぜんぜん違う文化をもってるのかもしれない。でもみんなおんなじ、だいじな人間だよ!(国際理解、LGBT、人権)
  • おとなになるのは、楽しいことだよ!(私の今の生活について)

などなど。

 

目的も、内容も、活動方法も、いっぱいいっぱい考えて。

 

最終的に、絵本を作ることにしました。初めてペンネームではない本名でお話を作りました。ちゃんとして絵本を作ること自体初めてです。

でも、手遊びを入れた読み聞かせなら、1年生から6年生までみんなが一緒に楽しめるかなと思って。

 

そうして、2週間ほどかけてちまちまと描いて、できたのがこんなの。

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両手で広げるぐらいのサイズです。印刷と製本は、心優しい先生がやってくださいました。

 

読みはじめる前に、「じゅもんのやりかたね!」ということで、子どもたちにごくごく簡単な手遊びを教えます。

「まいっかいっか、だいじょうぶ」の声に合わせて、手を2回パチパチして、それから2回、指の先で自分の両肩をとんとんします。

 

せっかくなので、のっけます。(個人名や学級名は消してあります)

 

 

絵本「まいっかいっか、アタモリちゃん」

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ちょっと教育的な話:アンガーマネジメント

固い表現で言うなら、これはアンガーマネジメントの要素が強い教材です。

アンガーマネジメントとは、ざっくりいえば、「ドッカーン!と怒りを爆発させる前に、自分のイライラをコントロールする方法を学ぶこと」です。

イラッとした気持ちそのものを抑えるのではなく、それを上手に伝えたり、おさめたりできるように練習します。モノを投げたり人や自分の体を傷つけてしまうのではなく、言葉で「これが嫌だったの」と伝えたりとかですね。

 

これ自体は、前にちょろっと書いた、
「私が思う、私の教師としての役目は、子どもたちに自分を伝える手段を獲得させること」というところに近いです。

当事者として、教師としての役目を考える - かっぱちゃんの耳

 

とはいえ今回は、そのアンガーマネジメントの中でも、衝動のコントロールに焦点を絞ってあるといえます。

よく「5秒はがまん」「6秒ルール」とか呼ばれるものですね。人間の怒りの衝動は5~6秒がピークで、そこで反射的に人を傷つけないことが大切だと。

 

「まいっかいっか、だいじょうぶ」のじゅもんは、別に何にも解決しないのだけど、一瞬だけその場を抑えることに使えるかなって。その場しのぎ、ってけっこう大事だと思うのです。

ここについては、後でもうちょっと詳しく書きます。私がいちばん子どもたちに伝えたかったところのひとつなので。

 

 

さて、基本的に私の幼少期の体験や思い、要するに私情がとっても入っているお話です

が、私自身は小学校ではそこまで、怒り爆発!タイプではありませんでした。(どちらかというと、その場で怒りを表せなくて、後から妹とかに当たってしまう陰湿悪質極まりないタイプ)

ではなぜ今回、主人公を「ぷんすかどんどん」にしたかというと、支援先のそのが急で、感情コントロールの課題を抱えている子どもが多かったからです。

 

他の子が、先に着替えた。ゲームで自分が負けた。順番待ちでいつも自分は後ろな気がする。

そのたびに、泣き叫んだり、手当たり次第に物を投げたりする子が何人もいます。情緒面は知的発達のほか、自己肯定感やら生育環境、愛着の問題と関わっていて、、、とまた話が逸れるのでそれは置いておいて。とにかく、「まあいいや」と言えない子が多いのです。

 

たった1冊本を読んだぐらいで、急に何かが変わるとは思っていないけれど。

子どもに何かを残したいと思うとき、それは砂をひとつまみずつ、ひとつぶずつ落として、砂山を築いていくのと同じだと思うのです。塵も積もればなんとやらですね。

 

ここから先の、「伝えたかったこと」についても同じです。

小さな何かをいろんな角度から何度も何度も降らせることで、ぱっと見は何も残っていないようであっても、もしかしたらどこかに積み重なっているんじゃないかなと思うのです。

 

 

いちばん伝えたかったこと①:吹き荒れる嵐をやりすごす

何も解決しないし、状況は何一つ変わらないんだとしても、「今をなんとかやり過ごすためのおまじない」をもっておくことは、ひとつのお守りになります。私の場合は。

映画「おおかみこどもの雨と雪」に出てくる「おみやげみっつたこみっつ」みたいな。

 

心に台風がやってきたときに、なんとかその場を乗り切るための合言葉みたいなものです。
怒りとか、悲しさとか、悔しさとか。根本的な問題を改善しようとするより先に、まずは吹き荒れる情動をいったん落ち着けないといけません。

 

今のはアンガーマネジメント的な短期的な話だけど、長期化しても基本は似ていると思います。

 

ものすごく極端な例でいえば、心の調子がものすごく悪くて「生きるのやめたいな」と思うほど気分が落ち込んでいるときも、なんとかその日1日だけは生きてみる。明日のことは知らんけど、とりあえず今日は、死なないでおいてみる。

 

 

近くにも遠くにも、不安の種がもくもくふくらんでいて、まるで先が薄暗く見えるけれど。

別に前が暗かろうが霧だろうが、その日一日分だけ、歩くことはできるのです。見えなくても別にいい。一日分ずつ、ちょこまかちょこまか、目の前のことを一生懸命こなすしかないわけで。

そうしたらそのうち過ぎていって、なんとか生きてるっていうことになるんだと思います。

5月1日 うれしいときを思い出す - かっぱちゃんの耳

 

気持ちのしんどさって、意外と天候とかホルモンバランスとかその場だけの条件に左右されている部分も大きいので、ひとまずやり過ごせば、ちょっとだけ楽になったりすることもあります。少なくとも、寿命は24時間のびるわけで。

 

私の場合はそれを繰り返していたら、いつの間にかいちばん苦しい深海の時期から抜け出してました。

 

好きなこととか、合言葉って、辛い時期の「その場しのぎ」の手伝いになりうると思うのです。

 

 

いちばん伝えたかったこと②:ニガテと生きるキミたちへ

完璧主義で、「できない自分」を自分で認められなくて、生きるのが苦しくて苦しくてたまらなかった頃と、「見て見てー先生さかあがりできないのーエヘヘー!」と子どもたちとガハガハ笑えている今と。

いつのまに変われたのかと考えれば、いちばんはやはり、この学級の子どもたちとのかかわりのおかげです。

できないこと=劣っていることではないと、理性だけじゃなく、心から思えるようになりました。

 

私が体育の後転ができなくて、それでも不器用に挑戦し続ける姿を見て「じゃあ、ぼくもやる」とそれまで近づきもしなかったマットで何度も練習を始めた子どもたち。

「ひとつできなくても、他のことはたのしそう」
「苦手だけど、ちょっとはがんばってみる」

彼らに伝えたい思いがつのるうち、彼らに視線を合わせて言葉をかけるうち、私たぶん、自分自身に声をかけていたんだと思います。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。
できなくても、だいじょうぶ。
ニガテが多くても、かっこわるくない。

 

だから、子どもたちにも伝えたいのです。

キライなものがたくさんでも、生きることはちゃんと楽しい。

ずーっとただ楽しいわけじゃないけど、でも、しんどいときもなんとかやり過ごして、自分が好きなことを覚えてたら、また楽しくなる。

 

それから、大人になることも、ちゃんと楽しい。

たしかに、年齢を重ねるにつれて、身長も体重も周りから求められることも、勝手に増えていくけど。

でも、好きなこともできることも増えていくし、たぶん食べられるものも少しずつ増えていく。私はそうだったから、みんなもそんなふうに思えたらいいなと思うんだ。

自分が子どもじゃなくなっていくことを、そんなに恐れないでほしいな。

 

 

 

伝えたいことが、ありすぎて。

だいぶ絞って絵本にしたつもりだったけれど、こうして書いてみると、やっぱりあれもこれもと欲張りな内容で、所詮は自己満足になってるなぁと思います。

 

でも、まいっかいっか、です。

だって、地元で本物の先生として働きはじめたら、もう彼らと会うことなんてなくなってしまう。授業という形でなくても、彼らに言葉をかけられるのは、これで最後です。

 

最後の1回なんだから、ちょっとくらいよくばったって、大目にみてほしいな。

 

 

 

おまけ:あの日のしーちゃんへ

もう、つかれた。

もう、このまま眠って、起きたくない。

本気でそう思いながら、苦しくなる息を湿った枕に押しつけて隠す夜が、最近ときどき、あります。

3月3日 自分に甘く。 - かっぱちゃんの耳 

今日そんな瞬間があって、それをしーちゃんに見つかった話。

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私、たぶん、もうだいじょうぶだと思います。

お守りみたいに、今日もらったことばをぎゅっと抱きしめて、これからなんとかやっていける気がします。

3月12日 先生のタマゴ - かっぱちゃんの耳

 

しーちゃん。

私ね、やめないでいてよかったよ。先生になることとか、騒がしくて生きづらい世の中で生きてくこととか。絵本を作って、改めて思ったんだよ。

あのとき止めてくれて、ほんとにありがとう。

 

この学級の子たちと過ごして、「私だからこそ、伝えられることがある」って思えたんだ。

最近またちょっと辛いことがあったけど、でも、4月から先生になったらまたそこで新しい子どもたちと出会って、伝えたいことがこれまたたくさん出てくるんだろうなーって。そんでまた生き延びたくなるんだろうな、私の役目を私なりにほどほどにがんばっていきたいなって思ったよ。

ほんとにほんとにありがとう。

 

私もしーちゃんがしてくれたみたいに、誰かの「その場しのぎ」を手伝えたらいいなと思います。