かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

7月21日 かまってちゃんの成長

ぱちり。

家に入って電気をつけた瞬間、部屋と一緒に頭の中まで眩しい白に染まりました。

 

何をしたらいいんだっけ?
いま何をしてたんだっけ?
あれ、あれ、なんだっけ?わかんない、わかんない。

 

疲れたときに時々起こる、プチパニック。

しばらく部屋の中をうろうろ彷徨って、意味もなく引き出しを開け閉めしたりしたけど…それからちゃんと、ホワイトボードを見つけてやることを書きだすことができました。

やること書いて、薬を飲んで、水分をとって、落ち着くまでじっと待つ。そのあとで、やることをゆっくり順番にこなしていく。

ちゃんと、ひとりでできました。

 

頭のなかで声が聞こえたんです。

「家に帰ったら?そうだね、ホワイトボードだね。

わかんなくなっちゃっても、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

ひとつひとつやることを書いていくんだったね」

それは、私がパニックになるたび、くりかえしくりかえし対処の仕方を教えてくれた、しーちゃんの声でした。

 

 

それで、気づきました。

最近、自分の特性や体質で困ったことが起きたとき、ひとりで対処できることが増えました。

だから今日も、「どうしよう」ってとりあえずしーちゃんに電話するのではなくて、自分でなんとか落ち着くことができました。

 

病院、学校や帰り道、それはもういろいろな場面で。

二年前から頻繁にパニックを起こしたり、ひどい症状が出はじめた私を、しーちゃんは根気強く支えてくれました。

嫌気が差しても何も不思議ではないほど、しょっちゅう私は助けを求めてしまっていたのに。しーちゃんは、何十回も何百回も、「だいじょうぶだよ、こうすればいいんだよ」って教えてくれました。

 

その何百回もの声が、ようやく私ひとりでも聞こえるようになった。

やっと、ひとりでもなんとかできるようになってきたんです。

 

準備をすすめてきたつもりでした。

タケノコ先生やしーちゃんがすぐ近くにいなくなっても、ひとりでちゃんと、「たすけて」って周りの人に言えるように。

頼れる先をちょっとずつ増やして。片側ずつ補助輪を外すように、少しずつしーちゃんなしで行ける場所を広げて。

 

3月19日 タケノコ先生の異動、ひとりになる学校

 

やっと。

やっと、補助輪が外れてきたのかもしれない。

 

しーちゃん。

ほんとうにありがとう。

ほんとうにほんとうにほんとうに、どれだけお礼をしても足りない。

私、もう少しでひとりで歩けるよ。

 

 

 

 

 

 心から、そう思う一方で。

 

「そんなのいやだ!」と泣いている、かまってちゃんな、チビかっぱがいる。

 

「ひとりで歩けるようになんてならなくていい!

しーちゃん、おねがい、行かないで!かっぱをひとりにしないで!」

ぽろぽろ涙をこぼしながら、思い切り自分の手を噛んでいるチビかっぱ。

そいつが夜な夜な出てくるせいで、かっぱちゃんはまだ自立しきれていないのかもしれません。

 

たすけて、って叫んだときに、すぐに助けに来てくれるだれか。

他の人に気づいてもらえない苦労を、「よくがんばったね」とねぎらって頭をなでてくれるだれか。

しーちゃんの前では、自分がすごく小さな子どもになると感じるのです。

まるで、両腕をまっすぐ伸ばしたときに、迷わず抱き上げてよしよししてくれる母親のような存在。

 

前から、薄々気がついていたけど。

かっぱちゃんの頭の中に棲むチビかっぱは、とんでもないくらいのかまってちゃんで、

そして、

たぶん、しーちゃんに依存している。

 

それがもし、一生を添い遂げるような恋人だったらまだ良いのかもしれないけど、現実はそうじゃない。

しーちゃんは四六時中かっぱちゃんの隣にいるわけではないし、半年もすれば卒業して遠くに行ってしまう。「早くわたしのことなんて忘れちゃいなよ」なんて自分勝手なことをいつも言っている。いつもお別れの準備をしている。

 

しーちゃんなしでは生きていけないなんて、まずい。そんなことはわかっています。

かっぱちゃんとしては、自分でもなんとかしようとしているのです。

ひとりで行ける場所、頼れる人を少しずつ増やしています。

そして現に、だんだん、ひとりでなんとかできるようになってきました。

 

でも、でも、どうしても耐えられないのです。

それでやがて、自分にはしーちゃんの存在が必要なくなることが。

それで、しーちゃんの進める「さよならの準備」が完了してしまうことが。