12月31日 「自称発達障害者」の存在
いつも読んでいる人気ブログで気になる記事があったので、それについての思ったことメモです。
ざーーーーっくりいうと、
「発達(障害)特性は誰でももっているけど、人間みんなが『発達障害』ということにしてしまったら、本当に発達で助けが必要な人が困るんだ」
というような内容です。
今までぼんやり思っていたけどきちんと言葉にしてこなかった考え方が、悔しいほどわかりやすくまとめられています。何度も何度も読み返しました。
ぜひ読んでみてほしいです。
安易に発達障害を自称しないでください。
せっかく発達障害当事者が勇気を出して障害を公表しても、甘えだとかやる気の問題だと叱責されるのは、この自称発達障害者の存在も理由の一つではないかと個人的には思います。
【発達障害を自称する人がいる理由】そもそも定型発達者は存在するのか? - 発達障害者ふくの徒然草
「おれさ、こだわり強すぎて、絶対ASDもってる(笑)」
「私たぶんADHDだから、これぐらいの遅刻しょうがないよね」
こうした軽い冗談のようなことばを、大学内でもよく聞きます。
教員養成系大学なので、全員が発達障害について授業で習っているということもあるから、やや特殊な環境なのかもしれないけど。大学の外やツイッターでも似たような発言は時折耳にします。
発達障害に関わる用語や知識が浸透してきたんだなあと嬉しく思う一方で、誤解や私とは大きく異なる考え方も広まっているなと感じます。
なんかね、うずうずするんです。
声を上げるほどではないけれど、何かすっきりしないものが溜まる。
「自称発達障害者の存在は、発達障害当事者を苦しめます」の具体例
以前、交際をスタートしたばかりの相手に、
「私、ADHDっていう困った特性をもってるんだ」
と打ち明けました。
「気にすることないよ。そうやって言う人、最近多いし。おれの友達にも、たくさんADHDいるから」
彼はそう言って、からっと笑ってくれました。
少しひっかかる部分はあったけれど、まあゆっくりと理解してもらっていけばいいだろう、なんて考えていました。
でも結局、私がほんとうに困っているということに、彼が目を向けてくれることはありませんでした。私の特性は、個性や性格なんていうカワイイものじゃなく、生きるうえでの「障害」なんだと、私はきちんと説明することができませんでした。
いつまで経っても彼にとっては、「遅刻してばかりの人」を「遅刻魔」と呼ぶように「うっかりが極端に多い人」を「ADHD」と呼ぶ、そんな感覚だったようです。
彼はよく言いました。
「かっぱのADHDが治せるように、僕も協力するから」
「他にもたくさんADHDの人が知ってるけど、みんな普通に暮らしてる人ばかりだよ。一緒に努力していこう」
治るとか、そういうものじゃないの、って何度も説明しました。
彼だって、ネットでいろいろ調べてくれていました。
でも、知識はつくばかりなのに、一向に理解は進まなかった。
それってやっぱり、
「大きな困り感なく生きている自称発達障害の人が、周りにたくさんいる」
ということが大きかったんじゃないかな、って今思います。
だから、努力でなんとかなるとか、どうしても受け止め方が軽くなってしまうんじゃないでしょうか。
もちろん、全員が全員そうだとは思っていません。
ふくさんも書いているとおり、ほんとうに困っていて、専門機関の受診を検討したり悩んだりしながら、それでも軽く「私ADHDだから」って笑いとばしている人もいるのかもしれないし。
医療や教育用語なんて、最初はちょっと誤解していても、だんだん理解が進んでくるものなのかもしれないし。
でもね。
もやもや書きなぐり大会
私たち発達障害当事者にとって、「みんなそれぞれ多かれ少なかれ発達障害特性を持っている」は時として刃となります。
- みんな発達障害特性をそれぞれに持っていて、各々のやり方で克服しているんだから、あなたも努力すればできるようになる。
- みんな発達障害特性を持っているんだったら、あなただけ会社や学校に配慮してもらうなんてずるい!私だって大変なのに…
と思われてしまうと、非常に肩身が狭いです。
発達(障害)特性は、みんなもっている。
でも、それで生活上に極端な困難を抱えているわけでなければ、「障害」とは呼ばない。
今回は、そんなしっかりした話がしたいんじゃないのです。
単に、「オレ、ADHDだから~(笑)」を聞くたびに心の中に浮かぶ、もやもやした渦をどうにか吐き出したいだけなのです。
ケタケタ笑いながら言うその障害名。
私はこんなに、困ってるのに。悩んでるのに。
いっしょにしないで。