かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

6月27日 イヤーマフ

ついに、イヤーマフを使い始めることにしました。

聴覚過敏保護マークのステッカーも届いたので、さっそく貼りました。

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使用1日目

効果は、絶大。

耳栓のように、自分の声や足音が響いてしまって気持ち悪いということもほとんどありません。

 

エビリファイで遠くなっている音が、さらに数メートル遠く離れてくれたかんじです。教室内にぎんぎんしている先生のマイクの声や学生の談笑の声が、私に危害を及ぼさないところまで、ずるずる後ずさりしてくれたような。

それでいて、話しかけてきた友達の声はちゃんと聞こえるので、仕組みはよくわからないけどとても便利です。ただ、さすがにスーパーの喧騒の中では、レジ打ちの方の言っていることは聞き取れませんでした(それで急に外したのはあんまりよくなかった…)。

 

欠点といえば、90分間の授業中ずっとつけていると、耳と頭が痛くなることでしょうか。もしかしたらつけ方に問題があるのかもしれませんが。

いちどつけると、同じ音量のなかで途中から外すのは辛いので、なんとか対策を考えたいと思います。

 

 

 

うしろめたい

先生には学期初めに配慮願いを提出してあって、今日の授業始まりには改めて説明をしました。

 

後ろめたい気もちは、まだ残っています。

耳や目に不自由があるわけでもない、知能や身体の機能に困ったことがあるわけでもない、健康で(あえてこの言い方をすれば)五体満足な私が、周りの人に配慮を求めることへの後ろめたさ、申し訳なさです。

 

同じ授業を受けている仲間に補聴器の子がいて、その子も似たような配慮願いを出していたから…なおさら。

「私、ほんとにそんなに困ってる?」「私、”本物の障害者”じゃないのに、なんかズルしてない?」

どうしたって、心のどこかでそう囁く自分の声が聞こえます。

 

そんなことない、障害の種類やあるなしが問題じゃなくて、困っているなら支援をお願いする、それだけのことだって、繰り返し繰り返し学校で習っています。それが、私がこれから進んでいく分野なのに。自分にも、もう何度も何度も言い聞かせているのに。

それでもなお、誰かを欺いているような後ろ暗い気もちが抜けません。

 

 

でもまあ、それはいいんです。

きっと、慣れていく。

今は堂々と障がい学生支援室に足を運べるようになったんです。

そうやって少しずつ、背中の重さが体に染みこんでいくんだと思います。

 

それよりも、心にずっしり圧し掛かることがあります。

 

 

どう思われてるんだろう…

このイヤーマフね、なかなかゴツいんです。

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授業中ひとりだけつけていたら、だいぶ目立ちます。あと変。いるよねこういうキャラクター。

 

いちばん心配したのは、学科のクラスメイトにどう思われるだろうかということでした。

 

聴覚過敏をもっていること、発達障害の診断をもらっているということはごく数名にしか話していないし、彼らが他の子に喋るとも思えません。逆に、話しておいてもらえばよかったのかもしれない。

 

 

少し話が逸れます。

 

昨日初めて、その学科のクラスメイト、つまり一個下の代の後輩のうちの2人と、飲みにいきました。学校の外で下の学年の子と会うこと自体が初めてです。

お酒に酔った二人は、私のことをべたべたに褒めちぎってくれました。

 

「冗談抜きで、かっぱさんに憧れてる子多いんスよ。もちろん、留学で1年下にずれて入ってきたっていうのもありますけど。それ除いても、模擬授業とか課題とか、完璧に仕上げてきてずば抜けてるしー、英語めっちゃきれいだし」

「そうなんです。授業中さっと質問するし、なんでもパッパとすぐこなしますしね、まじめですしね。まじでかっこいいです」

 

お世辞かもしれないけど、それでも嬉しい。

照れて、ほっぺたが緩みます。

 

だけどそれと同時に、体のどこかは固くなるんです。

 

――お世辞だとしても、そんなふうに、言わないで。そんなふうに、思わないで。

私、きみたちが思ってるような人じゃないよ。

完璧に仕上げてきてる?ぱっぱとすぐこなす?

ちゃんとそう見えてるなら、よかった。だけど、それはすごくすごく取り繕ってる姿なんだ。きちっとして見えるように、かっこいい先輩でいられるように、なんとか張りぼての外面を作ってるだけなんだ。

 

――私、ほんとうはできないこといっぱいだよ。

おっちょこちょいなんて可愛い言葉じゃ表せないぐらいミスだらけで、苦手なことだらけ。生きていることだけでも、ときどき嫌になっちゃうぐらい大変なんだ。

それを一生懸命、隠しているだけなんだ。

 

そう思ってしまって、ひらひらと降ってくる誉め言葉を聞きながら、少し悲しいような気もちになったのでした。

みんなが憧れてくれるような先輩になりたくて。

取り繕いたくて取り繕っています。

それに成功している、自分がなりたかった自分として見てもらえているということなのに、何か大きな失敗をおかしたような気がしました。

 

 

話を戻します。

 

そんな、かっこいい先輩がさ。

あこがれの上級生がさ。

明らかに事情アリの奇妙な物体を頭に取り付けて、”配慮”をお願いするステッカーまで貼ってあったらさ。

変じゃん。絶対、変だ。

「何アレ」「でもあんま見るのよくないよね」ってなるじゃん。

「配慮が必要な人なんだ、知らなかった」「大変だね、かわいそう」ってなるじゃん。

 

それが嫌なんです。

 

今更何をあがいているのか自分でもばかばかしいけれど。

それでも、ここまで自分が築き上げたイメージを壊したくない。困ってるところなんて見せられない。「助けてあげなきゃいけない先輩」だなんて、思われたくない。

 

たすけられたくない。

 

それが必要なことだとしても。

 

 

心の本音は、今もそう叫んでいます。

 

だけど、もうそんなこと言ってられません。

 

特性を隠して、下の学年でひっそり授業を受けること約1年。

もう、上辺だけの「デキる先輩」は、やめることにしました。

ひらきなおる。

 

 

――私ね、発達障害があるんだ。

ADHDの診断が出てて、ASDは傾向があるってお医者さんに言われてる。みんなも授業で習ってるから知ってるよね。

 

――もしかしたら今までも、私が耳栓をしたり、授業の途中で抜けたりするところを見て不思議に思っていたかもしれないね。

あれも、そういうことなんだ。苦手な場面がいっぱいあるけどそのなかでも、感覚過敏でうるさい場所やまぶしい場所にいるのはちょっとしんどいんだよね。

でも、基本的には自分でちゃんと対処できるから、心配しないで!ほんとうに必要なときは、私から声かけるね。

 

――だから、お願いしたいことは、ひとつだけ。

今までと何も変わらず、接してほしいな。

私は、みんなが思っているほど得意なことばっかりじゃないけど、できないことばっかりってわけでもないと思うんだ。

たすけてほしいときは、ちゃんと言うから。それ以外のときは、とくに何も気にせず、今までどおり接してほしい。

 

 

そうやって、ひらきなおりたい。