かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

1月31日 内容と必要性と気持ちについての心境メモ

書きなぐりの心境メモです。



昨日、親身に相談にのってくれる大学の担任の先生から
「下の学年の英語科にも(留学の関係で今は多くの授業を下の学年と一緒に取っているので)、何人かに話をしておいたほうがいいですね。理解する人が多いのに越したことはありませんから」
とメールが来ました。

今日、部活仲間であるしーちゃんからは
「心配してくれてる頼れる部員何人かには、私から事情を話してもいい?コーチにも、話したほうがいいと思う」
と改まって話がありました。


"他の人よりも音や光に敏感で、つらくなって授業や練習の途中でいなくなることがある。こんな場面やこういうことは苦手。"
"刺激がしんどくなりすぎると、ひどく混乱することがある。そういうときは、こういうふうに対応してほしい"

そういう、必要な情報共有。配慮のお願い。
何人かに、話したほうがいい。

したほうがいいと、わかっています。
今までなんとかやってきたけど、大学2年頃からは、黙っていても周りに気づいている人が増えてきて。
この夏くらいからは症状がひどくなって、誰かに対応してもらわなくてはいけない場面も出てきました。

私のためじゃなく、私の周りの人のためにも、話したほうがいいんだって、何も悪いことはないんだって、わかっているのです。
私も、周りも、ちょっと楽になる。
だから、私の口からちゃんと、必要な分だけのことばで、伝えたほうがいい。


でも、でも、なんでこんなにいやなんだろう。

理由が、よくわかんないのです。
伝える内容も必要性も気持ちもあるのに、なんか、なんか、いざ「いつ話そうか」って具体的な話になると、すごくその場から逃げ出したくなってしまう。


ウサちゃんに初めて症状や特性のことを伝えたときも、そうでした。
ほんとうは、しーちゃんに隣にいてもらいながら、私が話をする予定だった、もしくはしーちゃんが話してくれて私が違うときだけ口を挟む予定だったのです。
でも結局、ウサちゃんの顔を見る前に私は逃げ出してしまいました。後から聞いたら、そこもウサちゃんには見つかっていたみたいだけど。
まるでスナイパーでもするように、隣の建物の二階に上がりました。そこのガラス窓からは、学内カフェで話をするしーちゃんとウサちゃんが見えるのです。
どんな表情で、ウサちゃんが私について聞いているのか、目を凝らして横顔を見つめていました。どんな口調で、しーちゃんが話を伝えているのか、聞こえるはずもないのに口の動きを追いました。


先日、ネコちゃんに話をしたのは、初めて授業で大パニックを起こしたところを見つかった直後です。
あれぐらい必要に迫られないと、話せない。
逃げるスキマがあれば、するするっと、逃げちゃいます。

大嫌いなマラソンも、追い詰められたレポートも、逃げずにやってこれたのになあ。
自分自身のこととなると、どうにもこうにも目を逸らしてしまうみたいなのです。

自分のことなのに、勇気をだしてちゃんと言わないせいで、いま周りにもっと迷惑をかけてます。


話したほうが、周りはたすかる。私もたすかる。
話したほうがいい。
周りもそう言うし、私もそう思います。
それぐらいは、ちゃんと理解して、判断できるつもりです。


なのに、だけど、
やっぱり、いやだ。



でも、いやなんです。
なんでかわかんないけど、「やだ!」って子どもみたいに部屋から逃げ出したい。
やだです。
どうしてそんないろんな人に話さなくちゃいけないんですか。



どうして?
って、今日、しーちゃんに半分怒るように泣きついてしまったのです。

「わかってるけど、わかってるけど、どうして、そんないろんな人に話をしなきゃいけないの」
って、私が周りの人に情報を共有しないせいでいちばん負担が集中しているしーちゃんに、当たってしまった。たぶん自分への苛立ちなのに。

私、今まではそんなこと話さずにやってこれたよ。
こんなふうになります、こんなふうに対処してほしいですなんて、そんな説明いらなかった。それで21年生きてこれた。
他の人も我慢してるのに、「私はこういう特性があるからどうぞ大目に見てやってください」って言うんですか。私だけ特別扱いをお願いしなくちゃいけないんですか。

「かっぱちゃんはみんなと感じ方が違うから、そうやってお願いすることは何にもずるくないんだよ」って支援室のタケノコ先生も、担任の先生も、しーちゃんも言います。特別支援教育を勉強していて、頭でもわかってるつもりなんです。

けど、どこから、みんなと感じ方が違うのかが、わかんないんです。


みんなも「学食って騒がしくて落ち着かないよね」って言ってた。
自動車学校の教官も、夜道の運転は「対向車のヘッドライトはすごく眩しいからね!」って教えてくれた。
友達も、声の大きい先生が小さい教室でガンガン講義していれば、「もう耳が潰れるかと思った」って不満げだった。

みんなも、うるさいとか、まぶしいとか、この味は嫌いとか、落ち着かないとか、感じるんです。
それを「やれやれー」って思いながら、毎日生活してる。

私だって、同じように「やれやれー」ってしてるのに。
私だけ特別扱いしてって言うんですか。
そんなのわかんないのに、「私、あなたたちと感覚が違うから困ってるんですー」って話さなくちゃいけないんですか。
「かっぱちゃん、大変だね、がんばってるね」って言われるんですか。


なんか、なんか、それはいやなのです。
理由をはっきり言葉にできないけど。

いろんな人に話して、お願いすること、
やっぱり、まだ、やだな。