1月30日 道に迷うならひっそりと
クラスメイトのネコちゃんとウサちゃんとお鍋をしました。
夜9時頃
大学一年生の頃から何度も遊びに来たり泊まったりしてるネコちゃんちとはいえ、私は方向音痴でそれはもうしょっちゅう道に迷うから、こうして聞いてくれるのは入学以来いつものことなのです。もちろん多少は、大きな駅に向かうまでに音や光の刺激がどんどん増えるから…という心配も、最近付け加わったのかもしれませんが。
んー…送ってくれたらすごく嬉しいけど、この寒いなか駅まで往復させてしまうのはさすがに悪いなあ。
意気揚々とバイバイして、おうちがある路地裏から細い通りに出て、
そしたらそこは、知らない夜の住宅街だった。
「出たら、左に曲がる…」といううろ覚えで道を進めど、そこもやっぱり知らないところ。
気が付いたら、黄色い街灯に照らされた、踏切の前にいました。
ぱかぱか切り替わる踏切の赤いランプ。轟音を立てて通り過ぎる電車。目にも耳にもぐりぐりぎりぎり入ってくる。
まだ、心臓はドキドキしていないけど。
「よし、電話しよう」と思いました。
間もなく、「いやー早かったね!(迷うの)」と大ウケしているネコちゃんと、ちょっと心配そうなウサちゃんが迎えに来てくれて。
そんなわけで楽しくおしゃべりしながら駅まで歩き、電車に揺られ、無事に家までたどりつくことができました。
父上の言う通りなのです。
私はGoogle Mapを使えばよかったし、おうちを出る前に道順をもっとよく確認すればよかったし、何ならこんな何十回も通ってる道もっとちゃんと覚えてるように努力すべきなんです。
周りの人たちが、やさしいから、
私は、ついつい甘えてしまうけど。
人に迷惑をかけないように、ほんとうはもっとがんばらなくちゃいけない。
同じように悩んでいる子が目の前にいたとしたら、私はぜったいに「…それってほんとに、音だけが原因?ちゃんと掃除を手伝うのがめんどくさいからじゃなくて?」だなんて声かけないと思うのです。
冒頭のブログを書いたpyonsu先輩も、しーちゃんも、学校の先生になろうとしているクラスの友達たちも、誰も、今困っている子を責めないし、急かさないと思うのです。
それがたぶん、人の痛みに寄り添う人になるということ。
たしかに、いつかは、ちゃんとやらなくちゃいけないときが来るのかもしれないけど。山積みになっているいろんな問題から逃げずに、向き合わなくちゃいけない日が来るんだろうけど。
でも、今苦しいなら、今じゃなくていい。
今は、休もう。
のんびりしていいし、ぐだぐだしていい。甘くていいんだよ。自分を甘やかしてあげて。
そうやって、声をかけたくなるはずなんです。
1月5日 自分に甘く? - かっぱちゃんの耳
自分を完全に解き放って、自由になれる日がくる。自分のことを大切にできるようになれば、きっと周りの人のことももっと大切にできるようになる。
呪いを解きたい - 三日坊主の三年日記
何度、人に語りかけられても
どれだけ自分に言い聞かせても
本気でそう思っていても
やっぱり、「がんばらなくていい」だなんて、そんなの嘘だよ。
そうやってこそっと囁くかっぱちゃんが、胸の中に居座っています。
私、もうちょっとできるんです。
ほんとは、もうちょっと、ちゃんとできる。
だから、がんばらないといけないんです。
「そんなことないよ、じゅうぶんがんばってるよ」って誰かに言ってほしいんだろうな。私、うんと甘やかしてほしいんだろうなあって思います。
でも一方で、どれだけそう言ってもらったって、きっとそれを信じきれない。
私の頭の「ガンバリマシタ基準」は、これまでずっと家族のなかで育てられた、ソレなのです。