かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

10月20日 ふりさけみれば

最近、こころがかるいです。

 

かるいというよりは、ふつうの重さ。

ずううんと沈みっぱなしだった2か月前に比べたら、とってもかるいということです。

 

自分では、いつも通り平常運転のつもりなのですが、友達に「最近、調子よさそうだね」と言われて振り返ってみたら、そのとおりだなと思いました。

その時期のブログを振り返ってみると、一目瞭然です。

 

一日じゅう、ちょっとのことですぐ涙が出てきそうになってしまうのです。
ずっと、泣きたくて泣きたくてたまらない。
何がというわけでもないけど、悲しいような切ないようなさびしいような、とにかくつらい気もちなのです。授業をしていても、電車に乗っていても。
もともとすごく涙もろい方だけど、最近はちょっと泣きすぎかもしれない。
私、どこか壊れちゃったのかなあ。
 5月16日 なにも見たくない日 

 

2週間ほど前から、こころのクリニックに通いはじめました。

理由は、これまでも時折やってきていた、「何もしたくない。生きることがめんどくさい。眠ったまま、もう起きたくない」と思ってしまう、気持ちの大波。

そんな状態が、頻繁に、それも長引くようになってしまいました。

8月22日 抑うつだそうな:ソラナックスという薬

 

つらかったなあ、と思います。

そのときの気分を鮮明に描写したくないくらい、つらかった。

 

今もこころのクリニックには2~3週間おきに通っていて、ソラナックスエビリファイを処方してもらっています。

通院を始めてから様子はとくに何も変わっていないようなつもりでいたけれど、ちゃんと状況は好転していたんだなあと気づきました。

 

平常になった毎日から振り返ってみると、他にも気づくことはたくさんあります。

例えば、「何もしたくない」の時期は、ほんとうに視野が狭く、暗くなっていたんだなということ。

空いた時間の過ごし方がわからなかったし、空いてない時間の楽しみ方もわからないなかで、何か重要な感覚が麻痺してしまっていたのだと思います。灰色の世界とはよく言ったもので、それぐらい無味乾燥な日々でした。

 

一方で、いちばん辛い時期でも、おいしいものはおいしいと感じていました。

「高いおいしいもの食べるでもいいし、猫カフェ行くでもいいし、ゆかなが楽になることをしな。お金は気にしなくていいから」

普段、お金にケチな母がそう言ってくれて、ほんとうにありがたかったです。そのときは、「お金でなんとかなるもんじゃないのに…」なんて思っていたけれど。

誰かのありがたさに気づけるのも、明るい世界に戻ってこられたからです。

 

他にも、今ふりかえって、「支えになっていたな」と思う言葉はたくさんあります。

「かっぱちゃんの体やこころをいちばん大事にしてあげられるのは、かっぱちゃんなんだよ。ほんとうにまずくなったら、大人のひとが、ちゃんと守ってくれる。だからそれまで、ちゃんとかっぱちゃんが、自分のこと守ってあげて」
というしーちゃんの言葉。

「つらかったり、困ったりしたら、いつでも電話して。ほんとうに、いつでもいいから。私は、いつでもかっぱちゃんのこと助けるから」
というウサギちゃんの言葉。

ほかにも、たくさんたくさん。

 

ほんとうに困ったら、この人がいる。あの人もいる。

そう思えることが、どれだけ心強いか。

 

周りの人に、ありがとうって言い足りないのです。

ありがとう。ありがとう。

私は、どうやって恩返しをしたらよいのでしょう。

 

わからないから、今日もとりあえず、元気に生きる。

 

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↑私の気分転換にと、父がドライブに連れて行ってくれたときの滝