かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

12月10日 内科のお医者さんに叱られてしまった話

 呼吸器循環器科も入っている内科の病院に行って、検査結果をもらってきました。

貧血にも関わっていそうこと
  • 今年7月くらいから、たびたび過呼吸を起こすようになった。酸欠気味の場所で泣きすぎたときが最初、脳貧血で駅で倒れたときが二回目、そのあとは毎回ではないが周りの音や人の多さによるパニックと一緒に出てくる。

  • 11月くらいから、まれに胸に何かがのっているように息が吸いづらくて、眠れないことがある。これは周りのうるささとは関係なく起こる。*

  • ときどき、激しい運動(2分間の組手の試合など)の直後、胸が絞られるように痛くなり、急に体の力が抜けることがある。痛みがとれるまで横になっていると、1時間弱で元に戻る。*

12月7日 困るときメモ - かっぱちゃんの耳

とてもいいことに、問題なし!

二か月前と比べて、貧血の値はすっかり改善されているそうです。カツオにマグロに、生魚いっぱい食べた甲斐がありました。

安心できてうれしい反面、「じゃあ、今私が困ってるのはなんで?」というもやもやも少し。原因がびしっとわかれば、また魚食べたりとか、何をすればよくなるのかもはっきりするのに。

 

「機能には問題がないってことは、息苦しくなるのはパニックになったりすることとかは、もっと精神的な方に関係してるんですか」

と聞いてみたのが良くなかったようです。

 

お医者さんの態度が豹変して、そこから厳しい口調でとくとくと話をされました。

 

そうやって若い人はすぐパニックだ精神科だと薬もらってくる。
焦ったり緊張して息苦しくなることなんて、みんなあるんだよ。それをどうマネジメントするかの問題なの、病気じゃないの。
この町にも、精神科やら、こころのクリニックやら、ポコポコできてるけど…敷居が低くなりすぎてる。ほんとに病気なのって、何百人に1人とかだからね。
 
若い頃は誰しも外の刺激に敏感だったりするんだよ。
それを乗り越えてくのが大人になるってことなの。大阪のおばちゃんみたいに図太くなるってことなの。
 
きみもね、もっと冷静に、周りの人と比べてどうかって自分の症状を確認しなさい。
それでもやっぱりおかしいって思うなら、また来ればいいよ。検査するから。
とにかく今回は、何も異常なかったんだからね。
検査で体に問題見つからなかったからって、とりあえずやれ心のクリニックだカウンセリングだ、そういうとこに駆け込んだりするんじゃないよ」

だそうです。

 

ようするに、

「きみが訴えてる困りごとはみんなあることなのに、気にしすぎ」

ということみたいです。

 

 

三日後に、大学の専門的な先生に相談するアポが入っています。

 

ほんとうに私なんかが行っていいんだろうか、とまた気持ちがずっしり。

その多忙な先生にわざわざ時間を空けてもらったり、授業を休んだりしてまで、行く必要ないんじゃないかなあ。

やっぱり、やっぱり、病は気からで、大げさに騒いでいるだけなんじゃないかなあ。お医者さんの言うとおり、みんなあることをただ気にしすぎてるだけなんじゃないかなあ。

ほんとうに私、困ってるのかなあ。

 

「それは困ってるんだよ」って人から教えられさえしなければ、今まで問題なく、ふつうに毎日過ごしてたんです。

胸が苦しくなるのも、周りがまぶしくてうるさいのも、それで「困ってる」状態なのも。

ぜんぶ母上の言うように「気にしすぎの、気のせい」なんじゃないかなって思ってしまいます。

12月4日 専門機関に行きたくなくて - かっぱちゃんの耳

 

もともとそんな不安だらけだったのが、余計に加速してしまったようです。

なんていうんだろう、自分も気にしていたところを、ぐっさり刺されたというか。的確なのかや良し悪しは別として、とりあえず刺さるもんは刺さって、血が出るのです。

 

 

「困ってる」っていう状態が、わからないんです。

 

私が感じているいろんなこと自体は、気のせいじゃないと思います。

駅や自動車教習で、手足がすうっと冷たくなって息苦しくなることとか。
大教室や学食の音はぜんぶ耳元で聞こえるから、話し相手のことばを聞き取るのに疲れることとか。

そのへんは、たぶん、気のせいじゃない。今まで当たり前すぎて慣れきっていたけど、やっぱり苦しくなったり疲れたりする。

 

だけど、それで困ってるか、って聞かれたら、はっきりとは答えられない気がします。

だって、みんなもそうなんでしょう。

人が多い場所は苦手、うるさいところは苦手、そんなの普通。
みんなも嫌なのを上手いことやりながら、生活してる。

私だってそうしてきたんです。我慢しながら生きてこられた。

だから、それを「私はこんなことで困ってます!なんとかならないですか!」って専門の人やお医者さん、友達に相談するのは、大げさなんじゃないかなあって。みんなも我慢してるのに、って。

 

内科の先生に叱られてしまった、と心優しい先生に少し話したら、

「相談に行くことが適切なことなのかどうか迷ってるんだね。

『気にしすぎ』なのかは、かっぱちゃんにぜひご自身と向き合ってほしいけど、私はかっぱちゃんが『つらい』と感じていることが重要なんだと思います。」

と返ってきました。

 

なるほど、と思いつつ。

やっぱりどこかで、溶け残ります。

 

自分自身と向き合うって、どういうことなんだろ。

気にしすぎなのかって、自分のことだけ見ててわかるものなのかなあ。

そもそも私、『つらい』なんて感じてるかなあ。

 

わかんない。

考えても、ぜんぜんわかんない。

わかんなくて、また考えて、すりきれてしまいます。

 

何か目の前にすることが山積みにほしいけど、体は疲れていて何もしたくないような気もする。

でもいざ何もしないでいると、頭ばかりぐるぐる考えて考えて、けっきょくまたわかんない。

 

 

思いついたらすぐ行動!

のモットーで、多動に拍車をかけながらここまで生きてきた私です。

せっかくなら、多動の一環として行くだけ相談に行ってみようかと思えてきました。