12月12日 「想像が膨らんで気持ちわるい」ということ
たまたまネットで見かけた、知らない人のツイート。
思わずぜんぶ書き写したくなりました。
”さっきから急に新芽が虫の幼虫みたいに感じてしまったり、落ちて潰れていたジャガイモの画か頭から離れなく気持ち悪い……想像力が働きすぎる感じ……”
”イメージが頭から離れないだけじゃなくて想像が派生してどんどん広がる。”
両手を膝にぼん!としました。
もし目の前にその人がいてその場で聞いていたら、私ダッシュで寄っていって、痛がられるほどに両肩をバンバン叩いていると思う。
「そうだよね!あるよね!!なるよねその感覚!!!」って。
とても共感しました、という言葉だけでは表しきれないほど、びっくりして、うれしくて、興奮して、それから安心しました。
この方は ブログを書いてる人ということで見に行ってみたら、出てくる出てくる。
吐きそうとかめまいがするとかそういう感覚とは違って、言葉ではうまく言い表せないんだけど、脚がその場の地面についていて、身体がその場の空気に触れていて、目でその場の景色を見ていて、鼻でその場の空気を吸い込んでいて、耳からその場の音が入ってくる、それら全てが耐え難い……。
具体的に言うと、用水路で鳴くカエル、土の中にいるであろう大量の微生物、雨の日の朝の世界の青っぽい濁ったグレーの色、向こうを散歩しているおじさんが吐き出す空気や肌から分泌されているであろう目に見えない汗や油、コケの胞子?の1本1本、地面で跳ね返ってくる雨とそれに混じっているであろうホコリや土。
どうにも説明出来ないし分かってもらえないかもしれないんですが、そういう細かいもの全てが私の感覚を襲うのです。
何が言いたいかというと。
やっと、同じように感じている人が見つかったということ。
普段、見るものそれぞれから、もくもく想像が広がります。それ自体は、そんなに困らない。むしろ創作のタネになります。
ただ、体調が悪い時や何かのきっかけで、「そういうとき」モードに入ってしまうのです。
見えるものからもくもく出てくるイメージが四方八方変な方向に止まらなくなったり、想像までいかなくてもひとつひとつの見えるものが頭の中に押し入ってきてぶわわわわっと膨らんでしまうときです。
景色そのものは変わっていなくても、いつもと違う世界を見ているようなかんじ。粒として入ってきちゃうというか、とにかく変に見える。まぶしい。
目をつぶってじっとしても、見え続けてしまってぶわわわわ。
何かにつかまっていないと立っていられない気がしてくるけど、吊り革も銀色のポールも気持ち悪くて触りたくない。しょうがないから、吊り革の丸いとこの上の皮のところを握って我慢するのが常。
今すぐ座りたい、電車降りたいって思います。でも学校に行くためにはそういうわけにもいきません。
運が悪いときは、音でも同じことが起こります。
いちばん運が悪ければ、視覚からと聴覚からと同時に起こります。
普通に「聞こえる」んじゃなくて、「耳から頭に押し入ってくる」という感覚。
話し声も空調音もモーター音もガタンゴトンも、ぜんぶ一緒くたになって押し寄せてきます。
ほんとうに良くない表現で申し訳ないのですが、私はいつも、以前テレビで見た津波のようだと思ってしまいます。ぜんぶの色が混ざったどす黒い灰色。あの色が壁のように高くそびえる波になって、両耳に押し付けられて、その勢いのままに頭に入ってくるのです。
別に効果が上がるわけではないのに、イヤホンのノイズキャンセルボタンを何度も押してしまいます。ボタンを押すたび、「Noise Cancel Mode」という無機質な女性の声とシャーーっと一瞬キャンセル機能がかかる聞こえる音が聞こえるのです。
このシャーーっという音は、新婦のベールのように私の頭のてっぺんから足元にかかる、薄い膜を張ってくれる音なのです。
この膜があれば、外のごちゃごちゃはなかなか入ってこれない、ほら「Noise Cancel Mode」って言ってる、だから大丈夫、怖くない怖くない、って自分に言い聞かせるのです。
そういう感覚を、だれかと共有できたことは、今までいちどもありませんでした。
そのことを特別気にしていたわけではありません。
むしろありがたいぐらいに思ってきました。「かっぱには、ほかの人にないすばらしい想像力や感受性があるのね」と親に言われてきて、普段見えるものから広がる妄想を書き溜めた小説集を楽しみに読んでくれる友達もいました。
ときどき困ることはあっても、基本的には、自分だけの特殊能力みたいに誇らしく思ってきました。
それが、大学のために上京して半年が過ぎた頃から、だんだん暴走するようになってきました。
ときどき、「そういうとき」が起こる。
でも、やっぱり、他の人には伝わらない。
そんなもんだと思ってきたし、誰かわかって!っていう気持ちが強かったわけではないけれど…「ねぇ、想像が勝手に出てきすぎてぐったりしちゃうことってない?」と聞いても
「ないよ。かっぱちゃんはすごいね、感受性が豊かだからね。表現もすごいし」って返ってくるばかりなのは、そりゃちょっとは悔しかったりもしました。
比喩じゃない。そういう表現じゃない。ほんとうにほんとうに、見たものや音や押し寄せてくるときがある。
誰にも伝わらないけど。
大学に入って、「かっぱちゃんには、ほんとうにそういうふうに感じるんだね」って受け止めてくれる人と出会って。
それだけですごくうれしかったけれど、やっぱり、「でも、あなたも、みんなもそう感じてないんだもんね」って思った。
だから今、とってもとってもとっても嬉しいのです。
もちろん、このブログの方とは違うところもいっぱいあります。
例えば、感覚の過敏があるといっても、私はHSP(Hyper Sensitive Person)のほうの特性はさして強くないし。部屋の片づけなどは、苦手よりもむしろ得意なほうだし。
でもね、そのへんの違いはいいんです。そりゃ違う人だもの。
同じように感じる人がいるとわかったということ。まったく同じにないのかもしれなくたって、なんというか、とにかくうれしい。やっぱりうれしい。安心なのですきっと。
やっと見つけました。
やっぱいるんじゃんね、ほかにもそうやって見える人聞こえる人!