かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

12月18日 支援室と脱走許可

昨日のつづき。

脱走許可

今日の朝の面談でよかったことがひとつ。

それは、お医者さんじゃなくて支援室の先生が、

「授業中しんどいとき、教室から出るのはいけないことじゃないんだよ。自分で対処できたってことなんだから、えらいんだよ」

と教えてくれたこと。

 という話。

 

そのまえに。

 

最近お世話になっている、支援室。

正式名称は、障がい学生支援室といいます。

障がいのある学生もそうでない学生も、学校生活、とくに授業で困っていたら助けてくれる大学の施設です。

 

大学1年のとき、よく出入りしていました。支援される側じゃなくて、する側として。

ビデオの字幕起こし、PCノートテイク、手話教室などに参加していました。(PCノートテイクとは、先生の声が聞こえない学生が授業を受けるときに、二人体制で先生の話や他の学生の発言をパソコンを使ってリアルタイムで文字に起こします。利用する学生はタブレットでそれを見ながら、授業に参加します。)

 

だから、友人に連れてこられたものの、今こうして支援室を利用していることに罪悪感みたいな後ろめたさみたいなものがずっとのっかかっています。

こんな私が使っててごめんなさい、ごめんなさいっていつも思う。

だって私、何も日常生活に障害ないのです。授業に支障ない。耳も聞こえるし、エレベーターを使わなくても上の階の教室に行ける。私、なにも困ってない、支援の必要なんてない。

 

それでも、支援室の先生はものすごく親切なのです。

怒られないし、追い返されない、質問ぜめにもされない。ただゆっくり話を聞いて、「休んでいきなー」と言ってくれます。

先生はどことなく、タケノコに似ている。タケノコ先生です。

 

「何を話せばよいかわかりません。まとめてもないし…」と言ったら、「まとまってなくていいんだよ」と返されました。

結論と理由、起承転結、時系列順、そうやって何かしらちゃんとまとめてからじゃないと、なんだか話すのも落ち着かない性分なのだけど。それでも促されるまま、愚痴のようなぼやきのような何かをぽろぽろ話しました。

 

「授業とか、学校の生活で何か困っていることはあったりする?」

と、聞かれました。

困っているというほどではないけれど…と何度も前置きしつつ。

昼休み、ほんとうは友達たちと一緒に学食に行きたいけれど、周りのがやがやはきついし、友達の声が周りの音と混ざって話についていけないから、他の場所でごはんを食べていること。

大教室での休み時間の喧騒が耐えられなくて、いつも時間ぎりぎりまで外にいるか、耳栓をして耐えていること。授業時間になっても教授が来ないときはずっと座っていなくてはいけないから、いちばんしんどいこと。

授業中は、私語をしている人が多いと声が混ざって、先生の話がわからなくなってしまうこと。それで、先生の口が見えるできるだけ前の席で授業を受けることが多いけれど、それだと後ろで話している人たちの声や音も入ってきてしまうから、声が通る先生・マイクを使う先生のときはできるだけ後ろの席に座ること。

そういうことを、話しました。

 

で。

その後も何度か支援室に足を運んだときに、より細かい状況について話をしました。

実は授業中、音に耐えられなかったり、集中して先生の声を拾い分けることに疲れてしまったりしたときは、こっそり教室を出てるんです、とか。

 

タケノコ先生は、

「それでかっぱちゃんが損をしないように、支援室からそれぞれの授業の先生に連絡するよ」

と言ってくれました。

こうして、ありがたいことにというか、困ったことにというか、すごく後ろめたいことにというか…とにかく複雑な気持ちなのですが、私は支援室からの「支援」を受けることになったのでした。

 

実際、ありがたいのです。助かります。

でもやっぱり、後ろめたい。ごめんなさいって思うし、誰かにとがめられるんじゃないかってひやひやする。

それは支援室の先生にメールしてもらうっていうこともだし、そもそも授業中に教室を出るということも。頭の中で小さい私が「いーけないんだ、いっけないんだー」って歌ってます。

 

 

ということがあってからの、17日の脱走許可なのです。

「授業中しんどいとき、教室から出るのは、いけないことじゃないんだよ。

自分で対処できたってことなんだから、えらいんだよ」

 

たぶんこの日以前にも言われていたことではあったのです。ただ、たいがい支援室や診察のときは処理にいっぱいいっぱいで、言われたことの半分も理解できてなかったりするから。

ちゃんと頭に沁みたのは、この日がはじめてでした。

 

いけないことじゃない。

自分で対処できたってこと。

 

先生に言われました。

だからたぶん、それはほんとのことだ!と、急にすんなり納得してしまいました。

私の頭の中にいまだに住み着いているナンチャッテ優等生、「『いい子ちゃん』のつもりちゃん」は、「先生」という肩書に弱いのです。

 

「先生」に言われたらすぐに信じ切ってしまうことの是非は置いておくこととして、とりあえず気持ちは、とっても軽くなりました。

 

17日の朝から、だいぶ毎日が過ごしやすくなりました。

授業前、がんがんぎんぎん人の声が頭蓋骨と肋骨のなかで反響しているようでしんどいとき。左手の甲に右手の指を立ててぎゅぎゅぎゅううっとバリアを張る必要はなくなりました。「もうすぐ先生来るから、もうすぐ静かになるから」って平気なふりの顔をして、一生懸命椅子に座っていなくていい。

 

変な言い方だけど、堂々と、こっそり教室から出ることができるようになったのです。

 

まだ全員というわけではありませんが、とくにしんどい授業(器楽演奏のある音楽科や、周りの生徒がうるさい社会科など)の教授から順次、タケノコ先生が連絡を取ってくださっています。

相変わらずクラスメイトには「あ、ファイル置いてきちゃった」とか「ロッカー行ってくる!」とか、言い訳してしまうけど。まあそれはそんなに負担じゃないからよいのです。変な体裁ばかり気にするのは平常運転。

 

 

何の話だったか忘れました。

「支援」を受けることには抵抗があるけど、なんだかんだタケノコ先生たちに助けてもらっている、という話。めでたしめでたし。