12月21日 伝わってなかったし伝わらない
今日はひたすらに、感情のまま思うままに気持ちメモ。
両親とテレビ通話をしました。
大学の施設のお医者さんから、発達検査を受けることへの事前承諾と、自動車学校の件について電話があったのだそうです。
ざっくりざっくり要約すると、
「かっぱさんにとって、自動車学校での夜の教習が、光や音の刺激が辛いのだそうです。学校の授業を休んだりしなくてはいけないけれど、昼間の教習でなんとか期限内に通ってはいかがでしょうか」
とお医者さんが言ったのだそうで。
一方、父上は
「うちの娘は、論理的に物事をわかりやすく説明できる。でも、自分の体のこととなると途端にそれができなくなって、何が困ってるとか、伝わってこないんですよね」
と話したのだそうです。
最初に思ったこと。
やっぱり、お医者さんには、何も伝わってなかったんだな、って。
昼間の教習だって、辛いんです。たしかに、夜のほうが音や光がとくにしんどくてパニックになってしまうとは言ったけど、昼間なら大丈夫なんて話したわけじゃない。
周りが明るくても、やってきて通り過ぎる対向車(とくにトラック)の轟音が辛い。踏切の目の前で止まると、息が苦しくなる。
私、私、そうやって言ったのに。
きっといつも診察のときはいっぱいいっぱいで、私はお医者さんにきちんと伝えることができていなかったんだろうとは思います。それに、そういえば、親との話し合いに疲れ切って、「もう大人しく自動車学校に行ったほうがいいのかな…」って一度つぶやいたことがありました。あああれがよくなかったんだ…。
診察は、ここまで毎回、同じパターンです。
私が質問に答えて、あとはひたすらお医者さんの説明を聞く。そのうち頭がわかんなくなって終わる。
あとに残るのは、ぜんぜん上手く説明できなかったな、もらえなかったなあっていう悔しいような気持ち。
だから今は、すごく悲しい。
やっぱり、ぜんぜん伝わってなかったんだなって。
聞いてもらえてなかったんだ。
それと、これはなんだろう、失望とでもいうでしょうか。
父の言うとおり、これまで私は自分のつらいことは親に言えなかったんです。小さいころから、良いことだけ、楽しかったことだけ、笑える失敗談だけを報告するような子どもでした。
それでもこの年になってようやく、がんばって、がんばって、がんばって、なんとか親に切り出せるようになったんです。電話でも、帰省して直接でも、毎回言いよどんでそれでもがんばって。
私はほんとうにがんばって、「自動車学校がしんどい、自分は車の運転が適してない」って何度も訴えたんです。
でも、両親には取り合ってもらえませんでした。
「30万をドブに捨てるのか!?」
「あとちょっとの我慢なんだから、取るだけ取っちゃいなさい」
「まぶしいのも音も慣れだよ。そもそも、日本車のヘッドライトというのは、対向車の運転者にまぶしくないようにちゃんと左右の高さを変えて取り付けてあるんだから。」
「免許取れないと、就職できないんだから」
父の意見はいつも正論で論理的で、まったくその通りなのです。
帰国したら自動車学校に通うという条件で留学にも行かせてもらったし、自動車学校だってかなりのお金をもう払ってもらっているのです。それを無駄にするのかと言われたら、そういうわけにもいかないし。
タイプの違う聴覚過敏のある父に「俺も最初は苦手だったけど、運転の回数をこなすうちにみんな慣れていくんだ」と言われれば、もちろん説得力あるし。
何も、返す言葉がないんです。
「つらい」と言っても、正論と理詰めでパキーンと跳ね返される。で、それが”論理的に”正しいって、ちゃんと私もわかっています。頭では。
頭でわかっているけれど、やっぱり体は嫌だ無理だって叫ぶんです。
びゅんびゅん、次々に私に向かって跳んでくるような信号機。
いちいちハンコのように目にこびりつく看板。
ゴリゴリと体の底から骨を削っていくような振動。
自分に迫ってくる重低音はいちばん苦手なのに、対向車なんてそれの連続です。
昼間でも、それだけあるんです。夜はもう。
そして何より、運転しているときは、ただ助手席や後部座席に乗っているときのように、窓の外の空や山を見て落ち着いたり、BGMに聞き入ったりして気を紛らわせたりできません。
ぎりぎりに引き絞られた神経をずっとそのままに保たなければいけない。それがどんどんどんどん絞られて絞られて、いつかブチッとすべてのスイッチが切れてしまう。そうならないように、ただ気力だけで耐えています。
だから、技能教習の時間の後半は、いつも息をするのに精いっぱい、震える手やぎゅっと閉じそうになる目をなんとか言うこときかせるのに精いっぱいで何も頭に入ってこないんです。自動車学校に向かうとき、電車の中で脳貧血で倒れるようにもなってしまって。
”うちの娘は、論理的に物事をわかりやすく説明できる。でも、自分の体のこととなると途端にそれができなくなる”
そんなの、そんなの、体がぎゅうぎゅうに苦しいんだもの。言ってるのは、体なんだもの。他のことみたいに、きれいに整理して、冷たい頭でなんて話せない。
理屈も正論も頭ではわかってるけど、体に言うこときかせられないんです。
私はやっぱり、体の弱音を伝えるのが下手なのです。
父にも母にも、がんばってもがんばっても、何も伝わらない。
なので、お医者さんが親に電話をすると言ったとき、やっと光が見えたようでした。
使い古された表現で嫌だけど、ほんとうに大げさじゃなく、ひとすじの希望だと感じたのです。
さすがに、お医者さんから電話が入れば、両親も少し考えを変えるかもしれない、私の声にもっと耳を傾けてくれるかもしれない、って思ったのです。
それで、自分で思っていたよりずっと、お医者さんの電話に期待してしまっていたのかもしれません。
だからなのかなあ。
失望したみたいに、すごく残念で、悲しくて悲しくて、どうしようもない。
もう手立てがなくなってしまった。
どうすればいいんでしょう…。