11月27日 濡れぞうきん、みんな嫌いでしょ
おとといは教育相談の理論の授業、昨日は家庭科の教育法の授業。
その両方でビデオを見て、それぞれに、布がきちんと絞れなくて注意される女の子が出てきました。
見ていた私は急に悲しくなってしまって、紙を取り出して、せっせと落書きをしました。悲しいというか、なんだろう。プールでいっぺんにたくさん水を飲み込んでしまったときのような。
あとになって、ああこれも私の特性と関係があるかもなと思ったので、メモしておくことにしました。
書きのこすためにビデオを思い出すと、やっぱりちょっと、プールの気分。
でもまあ一種のリハビリみたいに、慣れていくものなのか。
おとといのは、私よりずっと程度の重い感覚過敏とADHD、それからアスペルガー症候群を抱える女性を特集したテレビでの、再現VTRでした。 小学校の掃除の時間。女の子は、とってもとっても水が怖い。水に触る感覚も嫌で嫌で、バケツのなかの掃除の雑巾に触れられない。絞れずに放り出した雑巾を「それじゃお団子じゃん」「ちゃんとやってよ」と周りの子どもに責められる、というシーン。
昨日のは、実際の小学校の家庭科の授業を録画したビデオでした。手洗い洗濯の実習中、干す段階になって巡回する先生。その途中で、「◎◎さん、靴下から水が滴ってる。絞りが足りないわよ」と軽くひとこと、注意していました。
ただそれだけです。
ほんとうにただそれだけなんですけど、あんまり見たくないなと思った。
マジックで袖から万国旗を取り出すみたいに、つらつら連なって出てくるたくさんの写真。そうやって出てくる思い出が、今回は楽しくないものばかりだからなのだと思います。
一枚一枚、頭のなかに浮かんでくる画像を見たわけではないけれど、それらがどれも嫌なものだって、なんとなくわかるのです。あ、これはやなやつだーって。
でも、最初の1枚出てきたら、あとはぽろぽろぽろ。勝手に出てきてしまいます。時間も場所もごちゃごちゃなのに、一本の紐でつながっているのです。
それはまあ、おいておいて。
ぞうきん、とても嫌いです。
濡れているのは、もっと嫌い。
小学校の掃除で使うような、みんなで使う厚手のぼろ雑巾はもっともっと嫌い。
でも、みんなそうだと思っていました。今でもちょっとそう思ってます。
実際、小学校でも高校でも、30人クラスに、「濡れたぞうきんに触るの、きらいっていう人〜?」って聞いたら、ほぼ全員が手を上げるんじゃないでしょうか。
みんな嫌だけど、それを我慢してやってる。と思う。
今日
「でもそれ、たぶんかっぱちゃんが嫌!って思うほど、みんなは嫌!って思ってないと思うよ。感覚過敏、関係あると思う」
と友人に言われました。
実際のところの、相対的なぞうきんへの嫌悪感(?そもそも誰と比べるんだろ)はよくわかりません。
でもとりあえず、ぞうきんが大嫌いな理由をメモしておこうと思います。
たぶん、大きくふたつ。
ひとつめは、触感や匂いなど、感覚的にダメだから。
ふたつめは、ひとつめの理由が原因にもあって、いろんな嫌な記憶と結びついているから。
もうちょっと詳しく説明します。
思い出すのはやっぱり、小学校の掃除の時間。
ぞうきんがけのとき
①そもそもぞうきんがけの体制で上手に走れない
→②みんなより下手で恥ずかしい
私は、運動神経が悪いです。バランス感覚はとくにひどくて。ぞうきんがけの動きって、あれなかなかむずかしいと思うのです…。
→③転んだら、ぞうきんが通った後のところに肘や膝がつく
ぞうきんが通ったところを見るのも、そこを自分が通らなければいけないのも嫌でした。上靴で踏むならまだしも、どうしたってときどき膝がついてしまうし。
悪い例えで申し訳ないけれど、ナメクジが通った後を指でなぞれ、って言われているのと同じような気持ちです。ナメクジのほうがまだ生きているからマシなくらい。(不思議なことに、小学校の頃カタツムリを手に載せるのは好きだったんですよね…いやはやなんでだろ)
ぞうきんが目の前にあって、
→④ぞうきんそのもの、自分がそれに触り続けていることを見続けないといけない
しかもぞうきんがけって、その近寄りたくないものに向かって、走っていく動きなわけです。トイレ掃除をするときみたいに、せめて目をそらして、「自分が今いやなものに触っている」ということから気を紛らわせたいのに、そうもいかない。
→⑤におい
濡れぞうきん特有のにおい。あれがどうにも苦手なのに、顔をずっと近くにおいていけないといけない苦痛。
ちなみにこのにおい、何故か梅雨時の満員電車や教室でも一瞬することがあります。そういうときは気持ちが悪くなってしまいます。
ぞうきんしぼりのとき
そもそも強く絞るのが苦手
→①おこられる
後で詳述します。
→②床がびしょ濡れになるので、余計膝にじめっとする
バランスを崩してうっかり膝をついてしまって、ズボン越しのじめっと冷たい湿り気…あああだめだ。
③絞ったときに繊維から黒っぽい液体が染み出してくるのを見るのが嫌
これまた悪い例えでごめんなさい、小学校のときの私はそれを見るたびにいつも、「いもむしをつぶしちゃったときみたい」と思っていました。
黒く濁った(バケツの)水
→④覗き込むのが嫌
お風呂の排水口とか覗き込むの、どうしても耐えられないじゃないですか、あれのちょっと軽いかんじです。
→⑤指先にゴミのホコリや髪の毛が絡まるのがいっっっちばん嫌!
我慢しても描写したくないくらい、これがいちばん嫌でした。
などなど。
そんなわけで、掃除の時間は、嫌な思い出ばかりなのです。
決定的なのが、小2のときのちょっとしたトラウマ案件。
当時の担任の先生は清掃に厳しく、どんな場所も必ず素手で綺麗にさせる方でした。
ある日の廊下掃除で、私はぞうきんが十分しぼれなくて、何度もやり直しをさせられました。
「もうこれでいい、っていうぐらいまで、力いっぱい絞ってごらん」
と言われ、私は水道の前で一生懸命にしぼりました。鈍い銀色の流しの底に水が垂れて、ぼとぼとと音がしたのを覚えています。その音も、私にとってはきたない音、きらいな音でした。
「これでいい」
「ほんとに?」
「うん、もう出てこない」
「ほんとのほんとだね?ちょっと貸してみ」
先生は何度か念を押してから、私の持っていたぞうきんを取りました。
そして、私の頭の上で、
「ほら、まだこんなに水出てくるじゃん」
とぞうきんを絞ったのでした。
先に書いたように、いかに私が濡れぞうきんと、そこに含まれる黒い水を気持ち悪く思っているか。私の頭のてっぺんに、ぽたぽたと冷たい水が当たりました。見えるはずがないのに、そんなはずないのに、粘り気のある、にごった灰色の液体が自分に落ちてくるのを見ました。
今の時代なら(というかおそらく当時でも)、親に言えば、教師の体罰問題にでも発展しそうな一件だったと思います。
そのとき私は、とくに親に報告しませんでした。
私からすれば、それは「排水口をタワシで磨きなさい」とか「窓枠の端は、こうやってティッシュと指で綺麗にするの」とか、先生のいつもの指導と何ら変わりはなかったのです。
頭の上でぞうきんを絞られるというのも、何枚かのぞうきんが入った水バケツの中に自分で手を突っ込んで一枚取り出さなければいけないという苦痛と、ごくごく似たようなものなのです。
「すごくすごく嫌だけど、しょうがない。みんながまんしてやってるから」
そう思って、我慢してきました。
ふつうのことだと思っていました。
今でもやっぱり、やっぱり、そうだと思っています。
みんなも同じように嫌。みんなも同じように我慢してる。
ちがうのかなあ。そりゃ「みんな」って誰?問題はあるけどさあ。
よくわかんないです。