かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

12月23日 親とまじめに話せない

まだまるで軽い冗談みたいな口調でしか言えないけど、少しずつ家族に自分が困っていることや、いま大学で受けている支援のことについて話せるようになってきました。

 

どうしても、まじめなトーンで言えないんです。

「自動車学校がしんどい。通学の電車がつらい」

そんな弱音を親の前で、妹の前で吐きたくない。怖いものなしでしっかり者の長女でいたいんです。いつも元気いっぱい、留学から帰ってきて、大学もバイトも車校もバリバリがんばる自慢の娘でいたいんです。

 

そういう、つまらないプライドと。

どうせ、言ったところで…という気持ちが強いのも、あります。

 

理性的な父上からは、理詰めの答えが返ってきます。

「自動車学校に入るのに、いくらかかった?30万を無駄にするのか?」と、毎回同じこと。

それでも、がんばって、がんばって、がんばって
「教習ね、対向車の音とかライトが怖くて、手が固くなっってきちゃう。どうしても無理なの」
って、言ったって、むだなんです。

 

「みんな最初は緊張するもの。

日本車のライトは、対向車の運転席を直射しないように、左右で微妙に取り付けられている。騒音も、ノイズキャンセルのイヤホンと同じように車体から打ち消す音を出してかなり軽減されてる。うるさかったり、まぶしかったりするのは全部慣れだよ。父さんもそうだったし、しょうがない。乗ってくしかないよ」

 

父上は、けして冷徹でも酷でもないのです。
優しくて、いつも私の将来のことを考えてくれてる。

やわらかい口調で「父さんもそうだったよ。大変だけど、そういうものだよ」と私に諭します。だから、私は、もう何も言えないのです。

 

 

母は母で…ちょっと、話がうまく通じないというか。

あさっての方向の心配と、ちあさっての方向のアドバイスが返ってくるというか。

なんていうか、あんまりあてにならないかんじ。

 

 

3歳下の妹には――やっぱり、やっぱり、「いつも元気なおねえちゃん。変だけど頼れるおねえちゃん」って思っていてもらいたいのです。

妹が不安で不安で泣いているとき、お母さんでもお父さんでもなくまず抱きつける相手として、いつでもどっしり立っている姉でいたいのです。

こないだも、テレビを見ながら「え、おねえちゃん、発達障害とかなったら超ウケる」って小馬鹿にするように言ってたけど…ほんとうに馬鹿にしたかったんじゃないことぐらい、おねえちゃんわかります。そんな顔をさせてごめん、不安にさせてごめん。

弱い部分を見せてこそ、本当の信頼だとかなんとか聞くけれど…まだ、私たちはそこまで大人じゃないんです。

もうあと数年、数か月だけ、強がりでいたいです。

 

 

家族とまた相談してくださいね、ってホケカンの先生も、支援室の先生も言います。家族の理解がいちばん大事だよと。

私は、非の打ち所がない、温かくて豊かな家庭に生まれました。

それでも、すごくむずかしい。家族に自分の気持ちを話す、家族からの理解を得る、って単純なようでこの上なく難解な課題のように感じてしまいます。

 

私、もうすっかり、疲れてしまいました。