かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

1月10日 「サポーター」

来週受けることになった心理検査についてや、授業での配慮についての件で、支援室に行きました。

今日は、途中から、わからなくなってしまいました。

上手く人の話していることを聞き取ったり、処理したりできなくなって、フリーズ状態。

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 もう、ところどころしか聞き取れない。

厳密に言えば、聞き取っても処理するスペースがないのです。最初と最後らへんは覚えてられることが多い…気がするけど、よく覚えてない。

12月14日 言葉が変換できなくなるときの頭の中メモ - かっぱちゃんの耳

今日もまた、こんなかんじ。

 

できるだけ起こらないように、起きてしまったときは後から原因を考えることにしています。

今回は、

  • 情報量が多かった
  • 支援室のタケノコ先生に予定が詰まっていて、いつもより話の進むスピードが早かった
  • 話の中でちょっと私の頭が固まりやすいもの(過去の嫌な思い出と結びつきやすいトピックなど)が何度も含まれていたこと

などがあったんだと思います。

 

同伴していた友人のしーちゃんが、通訳をしてくれました。

ときどき私がパニックになったときにやってくれる方法です。言葉を音声でなく、文字に起こして目から入れます。

具体的には、タケノコ先生の言葉を短くまとめなおして、スマホのメモ帳に打ちこんで見せてくれます。1文ごと私が理解しているか確認して、ゆっくり進めてくれます。

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とっても、たすかります。

いつもよりゆっくりですが、耳だけで聞くより断然、ちゃんと理解できます。

 

たぶん、文字はその場で処理しなくていいからなのだと思います。

音は次から次へ流れて消えてしまいますが、文字ならゆっくり読んでも消えないし、途中で前に戻って何度でも読みなおすことができます。

 

 

支援室を出た後、あらためてしーちゃんが、タケノコ先生が私にするように言っていたことを紙にまとめなおしてくれました。

左ページがそのメモで、まだ頭の動きが全回復でなくてノソノソモードだった私が自分用にまとめ(?)直したのが右ページ。

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右ページ:ほんとに困ってるときは、これぐらい「結局のところ、何をすればいいのか」だけに情報を絞らないとうまく入ってこなかったりします。

③について、よくわからないと言ったらしーちゃんが補足してくれました。↓

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詳しいことはよくわからないのですが、「学生支援チーム結成の申請」だかで、支援室から公式に授業などを支援できるようにするための申し込みをするのだそうです。

またそれも自分でまとめなおそう。

 

 

 

余談。

 

年末に、しーちゃんから
「なんかね、時給が出ることになったの。支援室やホケカンの受診とか、必要な場面でかっぱちゃんに付き添っている時間には、支援室から時給がつくんだって」
と話をされました。

「支援室としては、学生間の支援のケースを作りたいとかなんとか」なのだそうです。

 

支援室では、「学生サポーター」に時給を出します。

サポーターの仕事内容には、

  • 耳の不自由な学生のために、授業中2人態勢で先生の発言をすべて文字に起こす「パソコンノートテイク」
  • 同様に、その学生が出席する授業で使う動画などに、あらかじめすべて字幕をつけておく「字幕起こし」
  • 目や足の不自由な学生の移動を助ける、「ガイドヘルプ」

などがあります。

 

私自身、大学1年生の頃に、パソコンノートテイクや字幕起こしで、サポーター側として活動していたことがあります。

2年後に自分がサポートを受ける側になるとは、思ってもみませんでした。

 

 

あえて、言葉を選ばずに言うなら。

障がい学生支援室に行く、学生サポーターからサポートを受ける、授業で配慮をしてもらうのは、私とは違うふうに生まれてきた人。「誰がみても、『障害をもっている』と思うような人」だと思っていました。

私はたまたま、目が見えるように生まれてました。たまたま、耳も聞こえるし、思うように体も動くし、大きな事故や病気になったこともない。

日常生活に、困っていることのない人間だと思っていました。

私は、「配慮」とか、「支援」とか、必要ないタイプの人。

”だって、障害者じゃないんだから”

 

 

だから、だから、やっぱり、心のどこかで、思ってしまうんです。

 

支援室に来る必要なんてないよね?
時給の出るサポーターなんて、つけないで。
学生支援チームなんて、とんでもない。

私、「支援」、いりません!だいじょうぶです!

 

たしかに、苦手な場面はあるけど、それは困ることなんてみんなあると思うんです。

私だけ、そんなお金のかかる「支援」をしてもらうのって、後ろめたい。

手話も車椅子も必要ない私なんかが、そんなふうに助けてもらっていいのかなあ…

 

 

 

頭では、わかっているつもりでした。

教師を目指す者として、特別支援教育を学ぶ大学生として、自分は、そういうのに、「理解ある人」だと思ってた。

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3月27日のマンガメモ - かっぱちゃんの耳

 障害がある、ないっていうのは、そんなに重要じゃない。

困っているか、どこにどれだけ困っているかが大切。

そうやって一人一人が特性によって困っているところを細かく見て、お互い助け合えたらいいよね、そういう社会になったらいいよね。

 

わかってるけど。

やっぱり、やっぱり、後ろめたいのです。


 

 

一方で、しーちゃんに対する思いとして、ああ、時給が出るようになってよかった、という安堵は、あります。

 

支援室などへの付き添いもそうだし、日常生活の様々な場面で、しーちゃんはとってもとっても私のことを助けてくれるのです。

ほんとうに助かっています。ありがたい。

でも、どれだけの労力や、時間を使わせてきてしまったのかと思うと、申し訳なくて申し訳なくて、すごく自分が情けなくなります。一人でなんとかしようとすれば、結局もっと手をかけさせてしまうし。

何をあげれば、どうすれば埋め合わせができるんだろうなんて考えてばかりです。

 

「勝手にやってるだけだから。何もお礼しないで」としーちゃんは言うけれど。

パニックを起こして帰り道がわからなくなった私を駅まで迎えに来るため、しーちゃんのレポートを仕上げるはずだった夜がなくなったり。忙しい平日の貴重な空き授業コマなのに、私の付き添いのために支援室にいることになったり。そんなことばっかり。

 

せめて、支援室などの分だけでもしーちゃんにお金が入るのなら、少しはその重たい罪悪感が減ります。感謝はそのままで、ただただ気持ちがちょっと楽になる。

 

 

話がごちゃごちゃになりました。

何が言いたいかというと。

「障害学生支援室 学生サポーター」なんていらない、と思う反面、しーちゃんに時給が出るようになってよかったとも思う矛盾。

どこで洗えばいいんでしょう。