かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

2月22日 講義棟前からの脱走②

自分のことなのに、わからないことばかりです。

どうして、とくにうるさかったわけでも、まぶしかったわけでもない講義棟の前で、逃げたくなったのか。

どうして、最近までそんなことなかったのに、苦手な場所から走って逃げ出すという行動が出るようになったのか。

 

 つづきです。

 

どうして、とくにうるさかったわけでも、まぶしかったわけでもない講義棟の前で、逃げたくなったのか。

講義棟。

教室。

コンクリート張りで、教室も廊下も人の声がきんきん響きます。鉄の脚の椅子や机は重たいし、ちょっと動かすたびにすごい音。あと、雨や曇りの日は、満員電車みたいな濡れぞうきんのような匂いがする。

 

もともと好きではなかったけれど、留学から帰ってきてから、より苦手さが増したような気がします。

私のなかに「この場所キライですポイント」みたいなものがあって、知らないあいだにそれが溜まっていたのかもしれません。

 

授業自体はおもしろいし、そもそも普段学校にいるときは、今はダメだモードが発動しています。

それが、今回は春休みに入っていて、しーちゃんがいるときで、そのモードじゃなかったから、そのまま「嫌!」→「逃げなきゃ!」までなったかなあと思います。

 

 

どうして、最近までそんなことなかったのに、苦手な場所から走って逃げ出すという行動が出るようになったのか。

 

 ひとつは、「(音などが)しんどいときは、その場から離れてもいい」と、最近になって覚えたことだと思います。

脱走許可なのです。

「授業中しんどいとき、教室から出るのは、いけないことじゃないんだよ。自分で対処できたってことなんだから、えらいんだよ」

12月18日 支援室と脱走許可

我慢してそこにいなくていい、その場から逃げるのはいけないことじゃないと、タケノコ先生から教わりました。

だんだんそれが、できてくるようになりました。

たぶん今回のことも、「ちゃんと逃げれた」ということで、きっと悪いことじゃないんだと思います。

 

 

 

だからあとは、原因究明でなくて、ひたすらに心情メモ。

 

小さいころからスーパーとか太鼓祭りとか、苦手な場所へ「行きたくない」と駄々をこねて回避すること、うるさい場所で耐えられなくなる前に何かと理由をつけて上手に脱出すること(「外であそぶー!」とか「飽きたから、ほかのとこ探索してくるね」と親や大人に予告してから移動すること)はよくありました。

 

けれど、こんなふうに自分の抑えがきかなくなって走り出すなんてこと、なかった。親からも聞いたことありません。

こんな、子どもみたいに… 

2月21日 「本日の予定表」と講義棟前からの脱走①

 

 

誰にも、責められないはずなんです。

「ちゃんと逃げれたね」「その場を離れたことは、何もわるくないんだよ」って、きっとしーちゃんやタケノコ先生は言うと思います。

 

だけど、なんでだろう。

いつもの、後ろめたい、っていうのもあるけど。

それよりも、すごく、悲しいような気もちなのです。

 

「ここはいやだ」で頭がいっぱいになって、後先考えずに走りださずにいられなかったこと。

部活に行かなくちゃいけないのに、逃げ出して、結局そのまま行かなかったこと。

 

なんだか、子どもみたい。

ときどき町で見かける、親の手を振り払って急に走り出す小さな子どもと変わらないじゃないですか。

大人にもなって。

21にもなって。

 

今回のことに限った話ではありません。

昼間の家のなかにいるのに、通り過ぎる飛行機の音にびっくりして、作業が止まること。

寝起きのときや夜は、お風呂を溜める音や、トイレを流す音が怖くて、大急ぎで布団にもぐりこむこと。

汚いわけではないのに気持ち悪くて、水道のレバーなど台所のあちこちに触れない、見たくない場所があること。

いつもというわけではないけれど、調子が良くないときに起こる、そういう小さな自分の動き。いわゆる感覚過敏、それによる回避行動だの云々。

気づくたび、いやな気もちになります。