かっぱちゃんの耳

感覚過敏やらADHDの診断をもらった大学生が、特別支援学級の先生になりました。

1月18日 かっぱ一家の普通

昨夜、お風呂上りに、母にアセロラドリンクを勧められました。

「苦手だからいらない」と断ると、「おいしいよー、飲みなよ、薬だと思って」と何度もコップを近づけてくる母。「香りが苦手なのー」と逃げる私。

「賞味期限近くて飲み切らないといけないとか、私の分のごはんが用意されてるとかなら分かるけど、今その必要ないじゃん。どうして『いらない』って言ってるのに自分の好みを押し付けるの」と強めに言ってしまいました。

「そういう理屈っぽいところも、強い言い方も、お父さんにそっくり」と、母は悲しそうな顔をしていました。

 

私、話し方、まちがえちゃったんだなあ。

と思いました。

 

アセロラドリンクのススメの断り方じゃなくて、両親への私の感じ方の特性と受診結果の伝え方です。

 

 

きのう実家に帰ってすぐ、両親と話をしました。

いつも軽いかんじで伝えてしまいすぎるからと、少し改まった雰囲気を出すため、より伝わりやすくするためにパワポも作りました。

まるで家族旅行の打ち合わせをするときみたいに、父は私のパソコンをテレビにつないでくれて、家族会議のプレゼンの雰囲気。

 

父も母も、まじめに聞いてくれました。

時々
「そのスライドの題名は適切じゃないな。内容がわかりづらい。プレゼンで大切なのは~~」
と父のスライドの完成度やわかりやすさについて細かくコメントが入ったり、母は説明が長くなると飽きて、
「うん、わかった!はい次!」
とどんどん先に進もうとするけど。

でも、質問や確認を交えながら、1時間ほどかけて、ちゃんと話ができました。

ちょうどそのあたりで受験生の妹が帰ってきたので、「いつもどおり」のかっぱ家に戻りました。

 

私は、がんばって伝えられたな、って、思いました。

たぶん全部じゃないけど、全部じゃなくていいんです。

私が困ってること、家族にお願いしたいこと、伝えることができたはず。

こたつにもぐりながら、少し不安がとれて、やわらかい気もちでした。

 

 

 

でも、そうじゃなかったみたい。

たぶん全部じゃないけど、全部伝わらなかったわけじゃないはずだけど、いちばん伝えたかったことは、伝わっていなかったようでした。

冒頭部分のとおり、その日も、次の日からも、私は母のちょっとした言葉や言い方に、いちいち傷ついてぐったりしてばかりでした。

 

伝わってなかった、伝わってなかった、伝わってなかったみたい。

それはおそらく、私が伝え方をまちがえたからなのです。

 

母は、「障害」という言葉に対して、きわめて一般的な、保守的な考えをもっていました。

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3月27日のマンガメモ - かっぱちゃんの耳

 

1か月近く前に勇気を出して、
「学生支援室っていうのは…正式名称は、障がい学生支援室っていって、最近そこでお世話になってる」
と伝えたときも、
「え、それじゃまるで、障害者じゃない」
とひどくショックを受けた様子でした。

その反応は、当然だと思うのです。

私も、2年近く特別支援教育の勉強をしてなお、「発達障害」という言葉の「障害」の部分のイメージに強くとらわれていると感じます。ましてや、その分野にあまり関わらない人なら、母のように感じるのはごくごく一般的で、ごくごく当たり前のことだと思います。

 

だからこそ、「ASD、自閉症スペクトラム障害」「少し前の言葉で言うと、自閉症や、アスペルガー障害」というワードを聞いたときに、母がどんなショックを受けるか、想像することは難くありませんでした。私も聞いたとき、びっくりしたから。

その衝撃に引っ張られて、私の感じ方や、日常生活のなかで家族にお願いしたいことの内容が頭に入らなくなるかもしれないなと。

 

だから今回は、「スペクトラム」という概念、「障害」というよりもひとつの特性であるということ、良いところもそうでないところもそのまま私の個性であることなどを、強調して伝えました。

できるだけ、軽く。まじめに聞いてもらえる程度に、明るく。

お母さん。

「障害」と名前がつくものの特性だからって、良くないことばっかりじゃないんだよ。

さいころ、お母さんやおばあちゃんが、「それはかっぱの才能だね」って誉めてくれたみたいに、今でも私はみんなよりも、アイデアがぽんぽん湧き出てくる。

「すごい!どうやったらそんな発想できるの!思いつきもしなかった!」って、友達にも先生にも誉められるんだ。自分のいちばんの長所だと思ってるんだよ。

 (中略)

お母さん。

だからね、悲しそうな顔しないでほしいんだ。

お母さんが「かっぱの素敵なところだね」って言ってきてくれたことが、「それは、発達障害による特性です」って変わるわけじゃないんだよ。そのまんま。私の良いところは良いところのまんまなんだよ。

 

 

そういうことが伝わったらいいなあって、思います。

1月16日 国立なんとかセンターへの受診:家族への説明パワポ① - かっぱちゃんの耳

 自分で思っていたとおりに、話ができました。

でも、その話し方じゃ、あんまりよくなかったみたい。

 

 

 

説明をしているときの両親の反応を思い返せば、納得です。

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母「かっぱがよくじっとしてないのは、別に昔からだもんねぇ。やることどんどんするし、アイデアいっぱい浮かぶし、いいところのほうが多いもんね」

父「物の扱いが雑でガサツなのも、注意散漫てことでこのADHDのせいになるのか。ママと一緒だな」

母「見通し立たないと不安なのは、誰でもそうでしょう。やること、順番が決められてないと効率よくできないのは普通だよ」

 

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母「あーパパのやたら細かい性格とか、音に神経質なのも、 ”そういうの”なんだね(笑)。パパに比べれば、かっぱの潔癖症とか細かいとこうるさいのなんて、ぜんっぜん問題じゃないよね」

父「それはママが片づけできなくて、鈍感なだけだろ…。夜、車のライトがまぶしくて困ったり、電車がうるさいのは、おれもわかる。あれは慣れと対処法だな」

 

つまりは、私の特性をただの特性として、軽く伝えすぎてしまったのです。

両親にとっては、家の中で私が壁やドアにぶつかっているのなんて普通。スーパーを嫌がるのも普通。

家族みんなにとって、そうです。

父が「なぜハサミを元の位置に戻さない!!」と吠えるのも、潔癖症で神経質なのも、普通。

母が「あれメイクまだ途中だった~」と出掛ける前に家の中をうろうろうろうろ一向に支度が進まないのも、思い付きですぐひとりで関係ない話を始めるのも普通。

それが、かっぱ一家にとっては、普通なんです。特性うんぬんじゃなくて、それが日常。家の中の常識。

 

だから、私がそれで今、困っているということが、伝わらなかったんだろうなと思いました。私がそういう伝え方をしなかったから。

 

こうやって困っていること、普通じゃないみたいだよって。

私、それで困ってるんだって、家の中では普通のことばかりかもしれないけど、外だとそれでしんどいんだって、伝えられなかった。