4月28日 「易刺激性の緩和」ってこういうことなのか
騒がしい駅を歩いていて、ふと気づきました。
そういえば最近、道を歩いていても、頭が忙しくない。
前を見て歩いていると、思い出すことがいっぱいあって忙しいのです。
思い出すことの9割は、そのモノを見ていつも思い出すことです。
同じような風景、匂い、音。
毎日、同じように思い出して、同じように「あ。」とやっています。慣れても慣れても、やっぱり頭に浮かんできます。(中略)
どうも他の人の多くは、ずっと何かを思い出したり、想像したりしながら歩いているわけじゃないみたい。「なんだっけ、なんだっけ、」がどんどんふくらんで、おぼれそうになったりしないみたい。単に私が「妄想癖がすごいかっぱちゃん」だからじゃないみたい。
考えてみればこのところ、ちょっと疲れているときも、周りがぎらぎらつぶつぶ見えたりしない。
小さい頃見ていた風景や、調子があんまり良くないときに見えるやたらぎらぎらつぶつぶした風景。
あれは、滝川さんの言葉で言えば、「意味化(概念化)されていない、シャープでナマな感覚そのものの世界」だったのかなあ。
もっと発達の凸凹の大きい人たちが見ているその鮮やかな世界に、私も小さい頃はいたのかもしれません。それで今でもときどき頭がわーっとなりかけるときは、そこに戻っているのかもしれません。
エビリファイを飲みはじめてから格段にパニックが減ったけれど、それ以外の部分でも、周りの視覚刺激に対して良い意味で鈍感になっているんだなあと思います。
そういえば、手の甲が綺麗になった。
爪を突き立てたことによる傷や、咬みついたアザがすっかり消えました。
パニックにならないのって、いいことだ。